北朝鮮による拉致問題の今後   [北朝鮮]

実におかしな出版契約   [ブログ]

売れない方が儲かるというおかしな商法 


どちらの解釈が正しいでしょうか?AあるいはB・・・

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8669200.html


>一冊も売れなければ700部は買い取ることには疑問を感じなかったはずです。

一冊も売れなければ著者は700部を買取ることによって出版社の損失を補填することになります。100部売れればその売れた分だけ出版社の損失は減少します。ですので、著者の負担も減少していいはずです。しかし、出版社の解釈では、100冊売れた場合でも残りの900部のうちの700部を著者は買取らなければなりません。


>買い取り価格は定価の80%ですから700部すべてを著者が買い取っても20%分は回収できません。


定価の80%で買取るのは、書店や取次へのマージンの支払いの必要がないからです。20%は書店や取次へのマージンです。出版社から直接買取る訳ですので安く買取ることができて当然です。


1冊(定価1,000円)当たりの出版社の収支配分は、およそ次のようになるのではないでしょうか。


販売による場合 ⇒ 書店・取次へのマージン300円+出版社の収益700円

買取りによる場合 ⇒ 書店・取次へのマージン 0円+出版社の収益800円


これでいくと、販売で700部売れた場合よりも著者に700部買取って貰った方が出版社は利益が大きいことになります。これでは、700部を売る努力などせずに、何もせずに一冊も売れない方が出版社にとっては好都合となります。実におかしな商取引と言えるのではないでしょうか。


解釈の違いによる出版社の収益明細一覧

http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67247810.html 

2014/7/10() 午前 0:05 

http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67265212.html より
   
極めておかしい。販売による出版社の収益が700円ならば、著者の買取りによる収益も同額の700円であるべきではないか。どうして、著者の買取りによる収益の方が大きいのか。著者に高く買い取らせていることが出版社に利益をもたらしているのではないのか。。
 
これでは、100部売れた場合の収益よりも、100部を著者に買取って貰った収益の方が大きいために、出版社は売る努力をしないのではないのか。これが公正な商取引と言えるのか。

  

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  http://www.kobeport.net/news/kyodo.html

 
                                                        
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「原発やめてほしいと吉永さん 本出版で岸恵子さんと会見」   [You Tube]

原発やめてほしいと吉永さん 本出版で岸恵子さんと会見

https://www.youtube.com/watch?v=-xEmK22qrp0#t=17 

  
2014/07/07 に公開

KYODO NEWS 【共同通信社】

再生回数2,609回 (2014.7.11 13:40 現在)

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矯正職員の使命   [公務員]

「刑政」 20147月号 より


矯正行政は、被収容者の収容を確保し、その人権を尊重しつつ、それぞれの法的地位に応じた適切な処遇を実現することにより、刑事・少年司法手続の円滑な運営に寄与し、犯罪・非行を犯した者の再犯・再非行を防止し、新たな犯罪被害者を生じさせないという役割を担っている。


矯正職員は、規律と秩序ある矯正施設のあるべき環境を保持しつつ、「一人の人間」としての被収容者に正面から向き合い、更生に導くことで、国民生活の基盤である国の治安を支え、安心・安全な社会を構築するという国家の重要な責務を果たしている。


私たちは、このことを深く自覚し、誇りを持って自らの職務を遂行する。


また、たゆまぬ努力をもって、自らの職務に対する能力を高め、人間としての成長を続け、国民の信頼と期待に誠実に応えていく。

私たちは、以上のことを矯正職員の使命として共有するとともに、次に掲げる事項を常に意識して職務を遂行する。


(基本姿勢1)

 国家公務員として、常に法令と倫理を遵守し、公私のけじめをつける。

個人的利益などを求めて職務上の情報や権限、地位を利用したり、矯正行政に対する信頼を失墜させる行為は絶対に行わない。


(基本姿勢2)

2 透明性と説明責任が強く求められることを常に意識し、法的根拠はもとより、社会に是認される常識的配慮をもって判断する。
     

(基本姿勢3)

3 被収容者の処遇に当たっては、冷静を旨とし、毅然とした態度を保ち、かつ、適切な距離を保ちつつも温かみをもって、公平・公正に対応する。不適切な言動やなれ合い的関係に陥ることは厳に慎む。

  
 (基本姿勢4)

4 組織の一員として、団結と協調を旨とし、積極的な意見交換と相互支援がなされる組織風土を構築するよう努める。

(収容の確保)

5   ・・・以下省略・・・
  

 刑政7月号 第125巻 通巻1465号  発行所 (公財)矯正協会

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内部告発の意義   [ブログ]

評価されるべき勇気ある内部告発
  
私は悪質会社の社員に対して恨みのようなものはあまり感じないし、批判する気持ちもない。なぜなら、一社員が自社の悪質な商法について何とかしたいと思ったところで、内部から会社の体質を変えることなどほとんど不可能だからだ。悪質商法を行っている会社の責任は、ほぼ100%経営陣にある。 
  

 それに、悪質商法をしていると知って入社する社員もほとんどいないだろう。入社してみたら、なにやら「人を騙すようなことをやっている」と気づき、罪悪感にさいなまれる人も多いだろう。しかし、新入社員が上司に物申すなどまずできないに違いない。良心が咎める人は辞めるという選択肢しかないし、生活のことを考えるとそう簡単に辞めることができない人だって多いと思う。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というが、新風舎の場合は罪悪感すらなくなっている社員もいたらしい。

2012416 ()

http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-6ad6.html  より
 
The市役所改革~現役職員が物申す!」という本がある。これはタイトルにもあるように、現役職員による市役所の改革を訴える本だ。
  

この本のレビューには、
  

「親方日の丸」と言われたのは遠い昔の話。ぬるま湯に浸かったままでは、地方公務員制度は間違いなく崩壊してしまう。役所を変えるのは、国でも世論でもなく、職員自らの意識変革しかない。

 

とある。

 

公務員は全体の奉仕者だ。そのことを忘れている公務員は多いのではないか。おかしいと思うことに対してそれを包み隠すことはもはや罪であるという認識が必要だ。内部からの改革なくして社会全体の改革はあり得ない。 

とんでもない勤務の実態 その1 

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-07-29-1

  
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憂うべき想像力の欠如   [ブログ]

自由に発言できることの危うさ


自分が被害者の遺族となった、と想像してみよう。もちろん、真犯人が厳しく罰せられるのが一番納得できる。しかし、である。もしそれが警察・検察の力及ばず不可能だった場合、「無実の人を無理やり犯人に仕立て上げて、その人を罰する」ことで何か満たされるだろうか。そんなことは絶対にない。むしろ、被害者を一人増やしただけのことだし、もし仮に「無実だろうと何だろうととにかく犯人を決めて罰してくれ」と願ったとしたら、自分自身が加害者になってしまう。それくらいなら「真犯人がわからず、逃げおおせる」方がまだマシである――いや、実は「無実の人を無理やり犯人に仕立て上げる」ということは「真犯人を取り逃がす」ということも含んでいるのだから、何倍も悪いということになろう。


あるいは、「冤罪の可能性があったとしても、真犯人を漏らすよりマシ」という考え方は、「自分自身が濡れ衣を着せられる」可能性を高めることにもなるし、その際に誰も助けてくれないということになる。濡れ衣だろうと何だろうと、あやしい奴は片っ端から断罪しておけば真犯人を逃しにくい、と考えるような人は、自分自身がその「あやしい奴」だと決めつけられる可能性についての想像力が根底から欠如している。


京都亀岡暴走事故で3人の犯人の名前を6人分「暴い」たネットの暴走

2012426 12:06 AM

http://www.kotono8.com/2012/04/27bousou.html より

  作成中・・・


死刑賛成と、「被害者遺族感情」を利用して叫ぶ人を、私は決して信用しない

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62653703.html
   

想像力の欠如が日本をおかしくしている。

http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_24.html

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なぜブログか 136   [ブログ]

同じトラブルが起こらないことを目指してブログを開設

ある自費出版の会社から本を出しました。初版が売れ切れたために、出版社と増刷を協議しました。
 

 出版社は、一定の売れ行きが見込めないという理由で増刷に前向きではありませんでした。しかし、出版社にしぶとく増刷を要請したところ、売れ残りが出た場合にそれを著者が買取るという条件(出版に掛かる費用は出版社が負担)で1,000部の増刷が実現しました。
 

 出版社は、増刷について協議している時、増刷する本の契約期間を半年として提示しました。契約期間が1年ならばある程度、販売戦略を練った上で売上増進を狙うこともできるのですが、半年では思うような販路拡大はできません。そのために「どうして半年なのか」と、担当者に聞きました。
 

そうしたところ、「最初の契約期間がベースになる。どこの出版社でも同じようなもの」と言っていました。実にいい加減な言い訳(言い逃れ)だと、私は思うのですが、皆さんはどう思われますか。
 

ちなみに、最初の(初版の)契約期間は1年でした。半年もしないうちにそれが売れ切れました。ですので、まだ、契約期間は半年も残っているのです。最初の契約期間がベースになるというのなら、「半年ブラス何か月(あるいは何年)」となるのではないでしょうか。  
 

皆さんはどう思われますか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10131208655

2014/7/1() 午前 0:39

http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67242765.html より  
 

困ったことが起きた場合に、身近に相談する人がいない人にとってネットのQ&Aサイトは実にありがたい存在だ。個人情報を一切明らかにすることなく、しかも無料で相談できる。その相談に対して、いろいろな人が回答してくれる。回答する人にとっても、質問に答えることはその経験で得た知識を活かすことができる。まさにそれは、立派な社会貢献と言える。
 
ブログでその人の経験を公開することは、その人でしか経験できなかったこと、その人だから経験できたことを、多くの人が共有でき、そこから得られたことをさらに発展させることに繋がる。これも立派な社会貢献だ。
   
 
自費出版体験記

http://blogs.yahoo.co.jp/bakudan998
 
自費出版の仕組みと心得 【前文】

http://homepage2.nifty.com/kaz-iku/yaw35.htm
 

自費出版プラットフォームとしてのKindle:個人的体験談

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kobayashiakihito/20121119-00022482/

    
         
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一人殺害でも原則として死刑!!   [死刑廃止論]

命の尊さに被害者の数は関係ない

 

千葉大生殺害事件の被害者の母親は8日、一審の死刑判決が回避されたことを受けて「司法への期待を裏切られた。1人殺害だから死刑を回避するとはよく言えたものだ」というコメントを発表した。

 

元世界銀行副総裁の西水美恵子氏の「人の痛み、我が身重ねよ」という主張に従えば、遺族の悲しみにこそ寄り添うべきだ。被害者だけでなくその遺族の夢さえも無残に奪った加害者にどういう「人の痛み」があるというのか。

 

映画「刑務所の中」で、「人1人殺して7年なんてやすいもんだ、アハハ」 と談笑するシーンがある。こういう受刑者は現実の刑務所の中にいるはずだ。それもかなりの数で。こういう者がいる限り、いつだれがその被害者になってもおかしくない。

 

死刑を免れた者が刑務所の中で如何に反省のない受刑生活を送っているか。それを思えばこの上なく激しい怒りが募る。死刑に反対している犯罪被害者の遺族もいるが、多くの遺族が加害者の死刑を希望するのは当然というものだ。

 

かつて加害者を弁護する立場であった岡村 勲弁護士は、恨みを抱いた加害者から奥さんを殺害された。犯罪の被害者の立場になって初めて司法が如何に被害者の存在を蔑にして来たかを実感したという。岡村氏はその後、積極的な死刑容認派になった。

 

しかし、事件が起きてから怒りを抱いても遅い。そういう事件が起きないようにするためにどうすべきかということを考えなければいけない。決して無関心でいいはずはない。

20131031

http://kokuhatu-gyoukei.seesaa.net/ より

 

 

人道外れる死刑制度 - 人の痛み、我が身重ねよ・・・

http://tokinokaze-nishimizu.blog.so-net.ne.jp/

 

 

死刑制度は絶対に必要 奪った生命を何で償うのか

http://shuchi.php.co.jp/article/555

 

 
  
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