東日本大震災から4年と9ヶ月 [東日本大震災]
以下、みさご丸 さんのブログからの転載です。
今日は東日本大震災の4年8ヶ月の月命日です。
昨日Facebookに投稿した記事です。(※ブログは昨日の朝、急いで病院にいくので投稿がおくれました。ごめんなさい。深くお詫び申し上げます)
▼今日もこの防風雨の中、警察は行方不明者の集中捜査をしています。
▼今でも、避難者等の数は186,241人と避難(仮設住宅や他県へのみなし仮設)が長期化しています。
▼死者数15899 行方不明者2565(2015年12月10日現在 警察庁緊急災害警備本部)となっています。
まだまだ復興はまだ道半ばです。福島は放置され、放射能にまみれたゴミが、11万カ所に900万以上のフレコンバックの袋があるのです。
【毎日新聞サイト:動画】
http://mainichi.jp/movie/?id=911693167002
安倍晋三政権は、こんな場所に、政府は人を住まわせようとしています。
さて、被災者、国民から徴収してる復興税はいったいどうなってるのでしょう。
復興予算削減して、津波被災者への医療、福祉、生業再生は全くうまく行っていません。
また、そもそも、原発推進政策は自民党が始めたモノです。この原発政策の津波での原発事故は人災でもあります。
完全に安倍晋三政権は国民の生存権は無視しています。
順番を間違えています。まず、自国の国民をシッカリ守るのが日本政府が存在してるのです。
お金に色はついていません。復興税が海外への意味のないバカラマキに使われていると言えるのです。
報酬改正。それに追いつくような復興は全くしていないのですよ。
本気で、復興をさせる気があるのならまず現場を見て、聴いて知ってください。
今も、「不安だらけで」夜も眠れない人が沢山入ることを知り、緊急度の高い日本の中の現場であることを知り、本気になって、まず国民に愛のある政策をしてほしいのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20151211-00000019-ann-soci
東日本大震災から11日で4年9カ月です。宮城県石巻市では、大規模な行方不明者の集中捜索が行われています。
捜索が行われているのは、石巻市の大川小学校から2kmほど離れた北上川の河口付近です。11日は、警察官約60人が熊手を使って土を掘り起こしながら行方不明者の手掛かりを探しています。
東日本大震災から4年と8ヶ月 [東日本大震災]
以下、みさご丸 さんのブログからの転載です。
今日は東日本大震災の4年8ヶ月の月命日ー時間のあるときにできたら黙祷をお願いいたします。
今日は東日本大震災の4年8ヶ月の月命日です。
死者数15893 行方不明者2567(2015年11月10日現在 警察庁緊急災害警備本部)となっています。今日も行方不明者に捜索が行われます。
まだまだ復興はまだ道半ばです。福島は放置されてるのです。
東日本大震災から4年と7ヶ月 [東日本大震災]
転載元 ⇒ 山と土と樹を好きな漁師
以下、みさご丸 さんのブログからの転載です。
【「なんにも対策をしない安倍政権」 原発問題を出すと。政府自民党の「支持率」に繋がるとして見ない、聞かない、言わない(対策を講じていません)】
▼このような写真は、現地に行けば今では誰でも撮影できます。望遠レンズがあればホント簡単に撮影できます。
▼できたら、福島~宮城~岩手の沿岸部をひと目でいいので見て欲しい。
おそらく、あなた自身の「人生について」影響をあたえるとおもいます。
そして、安倍政権に日本国民として腹立たしく思う はずです。
東日本大震災から4年と6ヶ月 [東日本大震災]
台風第18号から変わった低気圧に向かって湿った空気が流れ込んでいる影響で、関東地方と東北地方は記録的な大雨なりました。部屋の外からは激しい雨の音が聞こえて来ます。消防団員である妻は早朝5時前召集が掛かって出動しました。私の住む仙台市では土砂災害・河川反乱の恐れがあり、20万人超に避難勧告が出された。地元紙河北新報が報じています。
異常気象によるものと思われる自然災害が世界的に多発して多くの命が奪われております。今後ますます増えることでしょう。我が国でも、首都直下型、東南海・南海トラフ等による地震、火山活動、土砂災害、洪水、異常気象に起因する災害など様々な自然災害が予測されております。
東日本大震災の時、すぐに逃げさえすれば二万人近くもの人が命を落とすことはなかったはずです。今なおとても悔しいです。
東日本大震災の記憶は残念ながら風化の一途をたどっております。甚大な犠牲と悲しい記憶の中から生まれた貴重な教訓を後世に伝えていくことが、現在を生きている我々の務めである、と強く感じます。
東日本大震災から4年と4ヶ月 [東日本大震災]
転載元 ⇒ 山と土と樹を好きな漁師
「月命日」ー 【震災から今日は4年4ヶ月の月命日です。大切な人の死を悼み、今も悲しみの日々を生きている人はたくさんいます。数字化される人の死。違和感を覚えます】
【震災から今日は4年4ヶ月の月命日です。大切な人の死を悼み、今も悲しみの日々を生きている人はたくさんいます。数字化される人の死。違和感を覚えます】
2015年6月10日現在:死者 15,897人、行方不明 2,593人
震災関連死 平成 27 年5月 30 日現在)1都9県で合計 3,258人。
大切な人の死を悼み、今も悲しみの日々を生きている人はたくさんいます。
多くの人々は、「悲しんでばかりいてはならない、顔を上げて前に進まなくては駄目だと」言われ続けてきました。
また、被災地に限らず、例え大事な人を亡くしても誰しもがやってることなんですから。
しかし、私たちは本当に悲しむことをやめなくてはならないのでしょうか。
むしろ、人々は、悲しみがあるから生きていける、悲しむとき、亡くなった人をはっきり感じるのではないでしょうか。
消えたの母の肉体。死者となった母は、以前よりも、むしろ近くに感じるようになることがあります。
自分は今、「不漁で窮地の状態」にありますが、そんな日々の中で「母は生きていたら、どんな言葉を僕に掛けるのだろうか・?」と想像します。
父も17回忌が過ぎましたが、漁師だった父ならやはり、どんな言葉を僕に掛けるのだろうか・?」と想像します。
そして、その存在を感じるのは「悲しみを生きているときであること」に気が付くのです。
死者となった両親が、今では、以前よりも近くに感じるときがあるのです。
死者というと怪しげな感じを抱かれるかもしれません。しかし、人に言わないまでも誰もが、死者を心の中で身近に感じながら生きているのではないでしょうか。
震災で家族や身近な人を亡くした方々も、きっと同じように、死者を心の中で身近に感じながら生きているのではないでしょうか。
津波で突然、家族を亡くした遺族は言います。特に子供を亡くした遺族は「この悲しみは自分が死ぬまでなくならないだろう」と。
それは極自然の事であたり前のことです。だからそれでいいのだと思います。
死者の姿は見えず、その声も聞こえません。しかし見えない、ふれ得ないということと、それが存在しないことは違うのですから・・。
また、死者との関係を深めていくうちに、生者と死者の関係を切り結ぶためには、どんな宗教も思想も必要がないことです。
私たちは静かに内なる死者の響きを感じるだけで足りるのはないでしょうか。
古来「かなし」は「悲し」とだけでなく、「愛し」と書いて「かなし」と読んだのです。「美し」すら、「かなし」と読んだと言います。
これは古代の人々だけの思いではなく、死者を思うとき、現代に生きる私たちが感じていることでもあるのではないでしょうか。
東日本大震災で、多くの人がなくなりこのような事を書くのは、遺族の事を思えば今まで書けいてはいけないような気がして、書いてきませんでした。
でも、死者が単なる数字となっていくのではないか・・。亡くなった一人一人の生命の重み、遺族の思いを考えれば、【震災死者・行方不明者数】(原則毎月10日警察庁発表)2015年6月10日現在:死者 15897人、行方不明 2593人 と数字だけ書くのはあまりに機会的に数字化されて、軽率なんではないかと思ったからです。
東日本大震災から4年と3ヶ月 [東日本大震災]
転載元 ⇒ 山と土と樹を好きな漁師
昨日は東日本大震災の4年3ヶ月目の月命日月命日でした。Facebookでは153の「シェア」を頂きホントに有り難いことだと思っています。
おはようございます。
昨日は東日本大震災の4年3ヶ月目の月命日月命日でした。
Facebookに投稿したのですが、blogにアップするのをウッカリして忘れていました。
昨日の、月命日【今日は2011.3.1東日本大震災から、4年3ヶ月目の月命日です】の投稿には、6時00分現在で603の「いいね」、61の「コメント」、153の「シェア」を頂きホントに有り難いことだと思っています。
まだまだ、多くの方々が「311東日本大震災」の被災者の現状に心を馳せていただいた事に、「ありがとう」の言葉では足りないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。https://www.facebook.com/kinya.sasaki/posts/841393262603594?pnref=story
Facebookと同文です。ーーーーーーーーーーーー
【今日は2011.3.1東日本大震災から、4年3ヶ月目の月命日です】
~被災地に思い馳せてどうか1分だけ、黙祷をお願いしたいと思います。~
【震災死者・行方不明者数】(原則毎月10日警察庁発表)
2015年6月10日現在:死者 15896人、行方不明 2594人
<北海道>死者 1人<青森県>死者 3人、行方不明 1人
<岩手県>死者 4675人、行方不明 1130人
<宮城県>死者 9540人、行方不明 1259人
<福島県>死者 1611人、行方不明 204人
<山形県>死者 2人 <東京都>死者 7人 <茨城県>死者 24人、行方不明 1人 <栃木県>死者 4人 <群馬県>死者 1人 <千葉県>死者 21人、行方不明 2人 <神奈川県>死者 4人など
【震災関連死】(2014年12月26日復興庁発表)
平成 27 年5月 30 日現在)1都9県で合計3,253人。
東日本大震災から4年と2ヶ月 [東日本大震災]
転載元 ⇒ 山と土と樹を好きな漁師
「遅れる復興」不甲斐ない政権 整備5年で終わらぬ/集中期間後の行方が不安 ~ 今の被災者の待遇は、完全に憲法の生存権に触れている
【「遅れる復興」 不甲斐ない政権 整備5年で終わらぬ/集中期間後の行方が不安 ~ 今の被災者の待遇は、完全に憲法の生存権に触れている。】 岩手県・陸前高田市巨大な重機が山を削り、空中回廊のようなベルトコンベヤーが土砂を運ぶ。盛り土の上に築かれるはずの街並みは、まだ青写真の中にしかない。 高台移転工事は、政府の用地取得の法整備のために3年の空白があった。 「改正土地取得特区法」が成立したのは、作年の5月20日である。 そこらから、はじめて高台移転工事は動き出した。 再三の知事らの要望、陳情にたいして目を向けず、3年の空白を政府自体が送らさたことは何度も投稿してきています。 岩手県・陸前高田市巨大な重機が山を削り、空中回廊のようなベルトコンベヤーが土砂を運ぶ。盛り土の上に築かれるはずの街並みは、まだ青写真の中にしかない。 東日本大震災の津波で中心部が壊滅した陸前高田市。復興まちづくりに向け、かさ上げと高台造成による大規模な土地区画整理事業が進む。 作業は計画通りでも、市の山田壮史都市整備局長の表情はさえない。「支援スキームがいまのままならよいのですが…」。国の集中復興期間(2011~15年度)後への不安を拭いきれないでいるのです。 国はあくまで、3年の空白は棚に上げて 5年経過後は「地元負担示唆していてる」 区画整理の総事業費は1200億円。本体事業は全額が国費で賄われる方向に揺らぎはないものの、約6000人が暮らすエリアの整備は整地や道路敷設だけで終わるものではない。 国は16年度以降、復興事業について自治体負担を求める方針を示唆しているこ基本的な財源については同じ。 市街地形成には商業再生によるにぎわい創出に加え、体育館や図書館といった公共施設も不可欠だ。基盤整備後の支援が先細れば地域の未来は描けない。 「今回の災害規模なら、復興まちづくりは国が担うべきなのに」と。同市の山田局長が焦りをにじませている。 集中復興期間の終了を見据え、国は従来の姿勢を変容させようとしている。「道半ばのまま置き去りにされるのではないか」。被災地の懸念が強まる。 「何度も見直し」 例えば、4500戸の災害公営住宅の建設を予定する石巻市。被災地で最多となる計画戸数のうち、2割は場所さえ確定していない。候補地にはいまも多数の仮設住宅が並んでいる。 災害公営住宅の建設も国費の投入が堅持される見通しとはいえ、将来にわたって施策転換がないという保証はない。 一方、被災者側にも時間の経過とともに、子の独立や高齢者の施設入所といった変化が出ており、建設の計画戸数は常に見直しを迫られる。 「そもそも地域ごとに被災程度は違う。住宅再建は集中復興期間内で終わるもんじゃない」。石巻市復興住宅課の後藤寛課長が嘆く。 「震災5年」という、国の一方的な区切りに疑問を抱く被災地である。 陸前高田市で住宅再建支援に当たる「北方建築総合研究所」(北海道旭川市)の鈴木大隆副所長は言う。「真のまちづくりは5年や10年では完了しない。国も含めた総力戦で臨む必要がある」と・・。 現地を見れば、岩手では陸前高田市、大船渡市、大槌町、山田町、宮古市などはほとんど全く同じ規模の被害でその復興は国も含めた総力戦で臨む必要がある。 宮城はもっと多い街で同じことが言える。 オリンピック誘致やアベノミクスの全国の公共工事のバラマキで、人手不足で人件費高騰や資材高等などの影響で住宅再建は大きく遅れており、311被災地は置き去りにされたようなものだ。 本当に、政府は自国の事としての考えているのか・・?非常に疑問である。 下記のように、今日の朝日にニュースによれば、「住宅再建が完了するまでに必要な予算を復興交付金などとして、今年度中に被災自治体に配り終える。」と報じている。 しかし、その中身はどうなのか・・? まだ、詳細は県も承知していないはずだし、これまた一方的な措置である。 とにかく、東日本大震災から5年目を迎えた被災地に暗雲が漂っている。 集中復興期間が15年度で終了するのに伴い、国の支援が先細る恐れがあるためだが、復興まちづくりの道半ばで戸惑う現場をシカkリみて判断したのか非常に疑問が残る今回の措置である。 政治は憲法を見てるのか? 憲法は、国家は国民の財産と生命の保持が第一と考えるべきであると規定している。つまり、復興は国土保全が大前提でありその土地利用も同じである。 僕がいつも思うのが、復興途中にある被災地の一番のポイントは、ハード面とソフト面の両輪での復興である。 このように、長引けばハード面よりも被災者の心の寄り添った復興こそが大事なポイントである。仮設に5年もいて、全て仮設ではホントに心が淀んでくるのは当たり前のことである。 今の被災者の待遇は、完全に憲法の生存権に触れて いるのだから・・。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【復興予算、住宅・学校めど 完工費用、年度内に確保】 朝日新聞デジタル 5月10日(日)5時30分配信 (有料記事) 復興庁は、東日本大震災で被害を受けた住宅と学校の再建について、整備が完了するまでに必要なほぼ全額を、「集中復興期間」が終わる今年度分で確保する方針を固めた。必要なお金を用意しておいて、再建を進めやすくする。 約3万戸の復興住宅(災害公営住宅)の整備と約2万戸の高台移転(防災集団移転など)は、用地の確保や住民の同意取りつけにも時間がかかっている。復興住宅では、昨年末までに全体の85%が事業に着手したが、整備が完了したのは16%にとどまる。 このため、住宅再建が完了するまでに必要な予算を復興交付金などとして、今年度中に被災自治体に配り終え、いつでも使えるようにする。 ーー以下略ーー http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150510-00000002-asahik-soci |
東日本大震災から4年と1ヶ月 [東日本大震災]
転載元 山と土と樹を好きな漁師
震災遺構 保存、保留…交錯する被災地 時間をかけて住民と地元自治体で話しして決める事が肝要
2015/4/11(土) 午前 6:38 被災地漁師の声~東日本大震災津波 地震
今被災地では、震災遺構の保存か否かで意見が割れています。時間をかけて住民と地元自治体で話しして決めるしかないでしょうね
震災遺構については、全く岩手も同じような住民感情ですね。
・陸前高田市の市民会館 ・釜石市の鵜住居防災センター・大槌町の町庁舎 ・宮古市田老町の観光ホテルなどなど・・。どこも、津波で逃げ込んで多くの犠牲者がでたとこです。遺族の思いは。
・「思い出すので見たくない=取り壊して欲しい」
・「そこに行けば会えるし手を合わせられる=取り壊わさないで欲しい」
遺族の意見は割れています。
維持管理など被災自治体と県が経費を含めてどうするのか、または取り壊すのか。
非常に難しい面があります。やはり、時間をかけて決めるしかないのでしょうね。
▼宮城の南三陸防災庁舎の場合も、出席者によると、意見交換会では村井知事が県有化を提案するに至った経緯を説明し、その後、遺族が意見や質問を投げ掛けました。
解体を望む遺族会副代表の女性(68)は「知事も町長も(防災庁舎を)残すつもりなのがはっきり分かった。決めた話を伝えるだけなら意見交換ではない。解体を望む気持ちは変わらない」と突っぱる場面も・・。
解体を望んできた男性(67)は「(保存したいのかどうか)知事の本音がよく分からなかったのが残念だ」とした上で「終了後に知事から『申し訳ない』と頭を下げてきた。少し心が安らいだ」と話しています。
娘の夫を亡くした男性(65)は「解体か保存か結論を出すのは時期尚早。もっと時間をかけて議論するべきだ」と県有化に理解を示した。同居している孫が「庁舎に来ると、お父さんに会えるような気がする」と話すといい「遺族だけではなく町民も交えて意見交換する場が必要」と強調した。
村井知事は「解体を望む声が多い印象だった。初の意見交換で素直な気持ちを吐露してもらい、大変意義があった」と総括しました。「お互い納得できるまで時間が必要だ」との認識では、ほぼ一致したようです。
意見交換会は町主催で佐藤仁町長が同席。町の呼び掛けを受け、防災庁舎で犠牲となった職員ら43人の遺族のうち27遺族40人が出席した。村井知事は冒頭、「朽ちないように県が一定期間保存し、町内で冷静に議論してもらうことが重要と判断した」と理解を求めていあす。た
意見交換は非公開で1時間余り行われた。終了後に記者会見した村井知事によると「見るのもつらい」といった解体を望む声が多かった。一方で「(解体すれば)手を合わせる場所がなくなる」「時間が必要」などの意見もあった。
佐藤町長は「考え方は出尽くした」と語り、今月14日までの町民意見募集の結果も考慮し、県に回答する方針をあらためて示した。
震災遺構は、残すことによって津波の怖さの風化防止になり、全国から来る方々には防災意識が高まる価値もあります。しかし、埋め立て工事なで復興の邪魔になるところもあります。
まあ、そこで命を失った遺族の思いが優先されるべきでしょうが、その遺族の意見も割れてるのです。
やはり、じっくりと時間をかけて住民と地元自治体で話しして決める事が肝要なのだと思います。
佐藤町長は2013年9月、庁舎の解体を表明しています。村井知事はことし1月、県震災遺構有識者会議の「保存する価値がある」との結論を踏まえ、震災から20年となる31年までの県有化を町に提案しています。これは、原爆ドーム(広島市)が保存決定まで約20年を要したことに基づくものです。
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【<南三陸防災庁舎>解体、保存、保留…交錯】
河北新報 2015年4月10日
27家族の40人がそれぞれの思いを真摯(しんし)に語った。宮城県が提案した南三陸町防災対策庁舎の20年間県有化をめぐり、9日開かれた遺族と村井嘉浩知事の意見交換会。解体か保存か、または時間をかけた議論か…。初の話し合いの場は、遺族の多様な意見が交錯した。
映画「遺体 明日への十日間」 [東日本大震災]
東日本大震災から4年が過ぎました。復興は順調に進んでいると言う人がいる半面でちっとも進んでいないと言う人もします。本当はどうなのでしょうか。原発の汚水漏れが発覚するというようなことがあったりすると、復興が順調に進んでいるとは思えません。
私は、反戦を訴える戦争映画は見るべきだと思うのですが、目をそむけたくなる悲惨なシーンがあるため積極的に見たいとは思いません。しかし、「遺体明日への十日間」は、何としてでも見ようと思っていました。ですので、公開されてすぐ見に行きました。
津波が襲来するシーンがあるかと思っていたのですが、被災者に気遣ったのでしょうか、それはありませんでした。しかし、遺体安置所のシーンには涙を禁じ得ませんでした。
大勢の人が救助活動や復旧活動に従事しました。私も何かしたいと思っていました。しかし、実際には何もできませんでした。できたことと言えば、あの出来事を忘れないように努力することでした。
未だに行方不明の方がいます。一刻も早く家族のもとに戻る日が来ることを祈りたいと思います。合掌
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2011年3月11日午後2時46分・・・ [東日本大震災]
あの日から4年の歳月が流れました。
被災地の復興は多くの課題を抱えています。
亡くなられた方々のご冥福をあらためてお祈りします。
合掌。