おかしな文章、言い回し [言葉・文章]
自分が発する分かりにくさには自覚がありません。だから人はそれに腹を立てます。しかし、私たち自身も分かりづらいことをやっている可能性があります。
http://www.ntv.co.jp/sekaju/old/student/20050813.html より
「本人がわかりにくいと気づいていないのに、相手は分かりづらいというすれ違い」が「わかりにくい事の根源」だという。
「・・・なのに」という言い方は、それに対立することを言い表すときに用いる。「雨になることを予想して傘を持って来たのに、予想が外れていい天気になった」とか、「10時に会う約束をしたのに、2時間待っても(彼は)来なかった」とか。
>わかりにくい事の根源は、本人がわかりにくいと気づいていないのに、相手は分かりづらいというすれ違いです。
ここで「のに」という言い方にこだわるのであれば、
>本人がわかりにくいと気づいていないのに、相手は分かりにくいことに気付いている
>本人はわかりやすいと思っているのに、相手は分かりにくいと思っている
とすべきだ(後者のほうがすんなり理解できる)。「のに」にこだわらなければ、次のように言うこともできる。
>わかりにくい事の根源は、本人はわかりやすいと思っていても、相手にとってはわかりやすくないという、両者の認識のすれ違いにあります。
実に些細なことだが、あえて指摘するならば、「わかりやすい」と「分かりにくい」の表記は統一すべきだ。表記の違いに意味があるとすれば別だが、「わかりにくい事」という表記もあるため、単なる表記ミスだろう。
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「藤沢晃治」公式サイト
http://www.fkohji.com/
大学教授のわかりにくい文章 [言葉・文章]
ディベートの義務教育導入に疑問 T. S
教育課程審議会の中間報告で、国語の授業では「スピーチや討論、報告をまとめることなどを重視」とある。これで将来、ディベート(討議)を導入する学校も増えてくるでしょうが、これに疑問を呈します。
私が中学生のころ、話し合うことは大切なことということで、国語などの授業中に討論を行った経験があります。が、お互いに知識がなく理解も浅いのですから、討論をしたところで物事を深めることにはなりません。ましてや国語の力が身についたとはいえなかったのです。
知識も、相手への思いやりもいたらない中学生にとって、意見の違った相手から異なった考えを学ぶというよりも、どちらが正しいかという勝ち負けの問題が優先されてしまいます。相手を傷つける感情的な発言やへ理屈、不毛な議論のための議論となってしまいます。感情的なもつれがその後まで残り、人間関係にもよくありません。
何でもかんでも話せばよい、というわけにはいかないことを中学生には理解できないのです。教育の現状を考えれば、ディベートからいじめも起こりかねないように思います。
それよりも、文章を読む力が落ちている現在では、読書の時間を設けることを提案します。一ページでも多くいろいろな本を読むことの方が、大切だと思うのです。視野を広げ知識を身につけ、柔軟な考えができるようになると思うのです。そして、読んだものや自分の意見をまとめ、人に伝えて分かってもらうための作文指導も必要です。
作文は書きさえすればよいのではなく、何を言っているのかわかり、筋を通し、ひとり善がりではなく公平に、だれにでも理解してもらえるものにしなければならないのです。筋が通っていないことに気が付けば誤りをなおすことができます。経験上、作文を細かく添削指導をして推こうを重ねれば、大学生が人間として成長したことも知っています。このようにして、人間形成という意味での教養を身につけることができるのです。
フランスの作文教育では、内容よりも、まずは文法的に正しいのか、何をいっているのか、つじつまが合っているのかなどを指導しています。哲学者のアランがいうように、正しく書くことは正しく考えるためなのです。正しく理解し、考える前に議論をすれば、奇弁が正論を抑えつけるようになるのではないでしょうか。
これは、ある新聞に投書された大学教授の文章だという。倉橋保美氏は、「この文章には、人に自分の考えを伝えるという視点からすると、ライティング的に不適切な箇所が数多く」見られるという。その問題点を次のように指摘する(細かい問題点は除外)。
自分の最も言いたいことが最初のパラグラフに来ていません。この意見文で筆者が最も言いたかったことは、『ディベートよりも読書と作文を導入すべき』のはずです。したがって、最初のパラグラフでこれを述べなければなりません。
パラグラフの書き出しが、『私が中学のころ』ではいかにも唐突です。ここで言いたいのは、『中学生では未熟なため、討論で物事を深めることはできない』ということです。したがって、これをパラグラフの先頭に置き、自己の経験はそれをより具体的に説明するために後で述べるべきです。
『勝ち負け優先のために、屁理屈や不毛な議論となる』ということと、『思いやりが足らず、感情的にもつれる』ということが混在し分かりにくくなっています。別々に説明すべきです。
また、文と文の接続も不十分で、因果関係が不明瞭になり、ぶち切れた文が並んでいるという印象を受けます。
最初の文の意味がわかりません。『ディベートは何でもかんでも話せばよい』と言っているのでしょうか?『ディベートからいじめも起こりかねない』ことが言いたいなら、前のパラグラフと一緒にすべきであり、『何でもかんでも云々』の文は不要です。
論理が変です。現状の問題点が『文章を読む力が落ちている』で、読書のメリットが『視野を広げ知識を身につけ、柔軟な考えができるようになる』なら、読書は問題点を解決できません。『文章を読む力が落ちている』は不要か、さらなる説明が必要です。
また、第一文と第二文は同じことを言っているので、このままでは冗長なだけです。『いろいろな本を読む』だから、『視野を広げ知識を身につけ、柔軟な考えができるようになる』とつなげるべきでしょう。
さらに、作文指導は別の話題なので、パラグラフを変えなければなりません。一つのパラグラフに二つのこと(読書と作文)を述べると、論点がぼけ、印象に残らなくなり、場合によっては分かりにくくなります。
1つのパラグラフの中に、『フランスでの作文教育の内容』と『正しく書き、正しく考えることが大事』の2つのことが含まれています。このため、言いたいことが散漫になってしまっています。パラグラフを分けるか、類似のことを述べているパラグラフと結合させるべきでしょう。
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論理的であることの大切さ [言葉・文章]
(事例 1)
あなたはある高校の教師です。生徒が喫煙しているところを見つけたので、注意したところ、次のように言い返されました。あなたはどう反論しますか?
生徒:『煙草を吸っちゃいけないというけど、そう言っている先生が吸っているじゃないか。
( 中 略 )
この問題では、『未成年の喫煙は法律で禁じられている』、『(法律上)成人は喫煙しても良い』と回答される方が最も多いです。こう考えた方は要注意です。思考が浅いところで止まっています。この先を考えなければならないのです。つまり、『なぜ法律は未成年の喫煙を禁じているのか?』という部分です。この『なぜ』と考えるのが論理的思考では最も大事な部分です。
この『なぜ』という疑問がもてないと、 思考はここで止まります。この例でいえば、『青少年だけを差別的に、法律で押さえ込む』ということになります。これでは、この高校生は納得いかないでしょう。
なぜ法律は未成年の喫煙を禁じているのか、これは主に次の2つが原因と考えられます。
1. 身体的に成熟しきった大人より、発育途中の青少年の方が、より深刻な害を受けるため
2. 煙草には害と益があり、大人は両者を比べ、自己責任の上で喫煙している。一方、青少年は、この判断ができるほど精神的に成熟していない。その未熟な判断をもとに自己責任をかぶせるのは、青少年にとって不利益が大きすぎるため。
( 中 略 )
このように、『なぜ』という疑問がもてる人は、さらに 思考が深められます。この例でいえば、次のような点です。
本当に、発育途中の青少年の方が、より深刻な害を受けるのか?
それはなぜか?
高校生の喫煙に関する判断は、本当に未熟なものなのか?
http://www.logicalskill.co.jp/logical/are_y_logical.html より
すなわち、論理的に答えるとするならば、「煙草には害と益があり、大人は両者を比べ、自己責任の上で喫煙している。一方、青少年は、この判断ができるほど精神的に成熟していない。その未熟な判断をもとに自己責任をかぶせるのは、青少年にとって不利益が大きすぎる。そのため、法律で未成年者の喫煙を禁止している」となる。
(事例 2)
「雲が出て来た。洗濯物を仕舞い込んだ方がいい」というのは、論理的な主張になっている。雲が出るということは、経験法則的に雨になりやすいと言える。よって、洗濯物を仕舞い込んだ方がいいという結論を主張するのに、「雨になるかもしれないから」という説明は必要でない。
しかし、「雲が出て来た。早く寝た方がいい」というのは、論理的ではない。なぜなら、「雲が出て来た」ということと、「早く寝る」ということとの間には、一般的な相関関係がないからである。もっとも、「雨になったら雨の観察をするいい機会だから」というケースもあるかもしれない。その場合には、そのことを説明して初めて論理的に主張していることになる。
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わかりやすい説明のために必要なこと [言葉・文章]
分野別にみても、トップにランクされていた科学・技術さえ、95年から米国に抜かれ、その差を広げている。
バブル崩壊後の長期の景気低迷、金融システム不安の中で、政府も企業も目先の対応に追われている。
中長期的な対応策を欠き、このままの状態を続ければ、21世紀には、欧米先進国はもとより、アジアや中南米の新興工業国との競争にも敗れ、産業・雇用の空洞化が現実のものとなりかねない。
通産省が今月初め、産官学の有識者を集めて発足させた「イノベーション研究会」は、そうした危機感をバネに、来世紀に向けた産業技術立国のための政府、産業界、大学・研究機関による総合的な戦略のたたき台作りを狙いとしている。
これは、読売新聞の社説(1998年2月16日)の一部である。倉島保美氏は、「既知から未知の流れが守られていないので、前の文と次の文の関係がわかりにくくなっている」という。書くことのプロである新聞記者でさえわかりにくい文章を書くのであるから、プロでない私たちが訳のわからない文章を書くのは無理もないとも言える。
しかし、書くことを仕事としていない私たちであっても、メールやブログで訳のわからないことを書けば読む人を困惑させてしまう。だからこそ、わかりやすく書くことがすべての人に求められる。
倉島氏はこの文章のわかりにくさについて次のように解説している。
文中で主語が変わった。「抜かれ」たのは日本もしくは日本の国際競争力だが、「広げている」のは米国である。このため、話題の中心がボケている。
>バブル崩壊後の長期の景気低迷、金融システム不安の中で、政府も企業も目先の対応に追われている。
前の文との関係がよくわからない。日本の競争力が米国に抜かれた原因であろうか?であるなら、「その原因は・・・・・・ことになる」とすることで、既知から未知への流れを守る。
>通産省が今月初め、産官学の有識者を集めて発足させた「イノベーション研究会」は、そうした危機感をバネに、来世紀に向けた産業技術立国のための政府、産業界、大学・研究機関による総合的な戦略のたたき台作りを狙いとしている。
突然、「通産省が今月初め、」では、前のパラグラフとのつながりがわからない。「そうした危機を回避するため、通産省が今月初め、産官学の有識者を集めて「イノベーション研究会」を発足させた」と述べることで、既知から未知への流れを守る。
「書く技術・伝える技術―一読理解、誤解なし!仕事の効率がぐんぐん上がる!!」 (97ページ) より
(原 文)分野別にみても、トップにランクされていた科学・技術さえ、95年から米国に抜かれ、その差を広げている。(修正案)分野別にみても、トップにランクされていた科学・技術さえ、95年から米国に抜かれ、その差は広がっている。
(原 文)バブル崩壊後の長期の景気低迷、金融システム不安の中で、政府も企業も目先の対応に追われている。
倉島氏は、「その原因は・・・・・・ことになる」とすればいいという。しかし、具体的にどういうことかとなるとよくわからない。「その原因は、バブル崩壊後の長期の景気低迷、金融システム不安にあることになる」ということか。それは文章として少しおかしい(指摘が適切でない)。ここは、次のように書き直したらいいのではないか。
(修正案)バブル崩壊後の長期の景気低迷、金融システム不安の中で、事態はますます深刻になっており、政府も企業も目先の対応に追われている。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/kotoba05/komori.pdf より
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わかりやすく説明することの大切さ [言葉・文章]
「スター・ウォーズ」のストーリーは中国や日本からの影響がきわめて強くあります。映画のストーリーは宇宙に「ジェダイ」という侍みたいな武人がおり、悪い帝国と戦うというものです。
「スター・ウォーズ」はアジアの古代の宗教のインスピレーションがあるので、私はアジアの宗教の歴史に興味をもつようになりました。
(わかりやすく修正した文章の例)
「スター・ウォーズ」のストーリーは中国や日本からの影響がきわめて強くあります。映画のストーリーは宇宙に「ジェダイ」という侍みたいな武人がおり、悪い帝国と戦うというものです。
このように、「スター・ウォーズ」はアジアの古代の宗教のインスピレーションがあるので、私はアジアの宗教の歴史に興味をもつようになりました。
著者は、「作文教育では、指示表現の有無が文章展開の分かりやすさや文章としてのまとまりに影響を与えることに注意を向けていくことが必要になる」と言っている。まさにその通りだ。例文のように、「このように」があるのとないのとの違いでそのことは明白である。
倉島保美氏は、その著書で「予測どおりの展開が理解を深める」と言っている。そして、「すでに述べた情報を“つなぎ”に新情報を展開する」と言っている。上記の例では、「このように」というのがまさに“つなぎ”である。
中級作文におけるわかりにくさの要因 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/kotoba05/komori.pdf
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わかりやすい文章に共通すること [言葉・文章]
「読み手に負担をかけない」ということは、読み手が一読してすんなり理解できるということである。一度読んだだけで著者の言いたいことが理解できるということである。意味不明な言葉を用いていたり、誤字・脱字があったりすると、そこで読者は疑問を抱く。読者に疑問を抱かせることがすなわち「読み手に負担をかける」ということになる。
倉橋保美氏もその著書で「読み手に負担をかけない」ことがビジネス文書では必須と言っている。しかし、その倉橋氏の著書にもすんなり理解できないところがあった。そこで、メールでそのことを問い合わせた。果たしてどういう返信があるか・・・・・・。
文章力センスアップ講座開講中! 文章にもONとOFFがあるのです♪
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ハイブロー武蔵氏の提案 [言葉・文章]
山本夏彦氏は、著者は自分でも最低二百冊ぐらい買うべきだ、なぜなら本はすぐきえるから、といわれている。私もそう思う。本を書かせてもらって、書店に置いてもらって、読者に読んでもらっているのだもの。自らあちこちの書店に行って百冊や二百冊くらい買うぐらいのことはすべきと思う。
有名になったり、偉くなったりすると、つい、自分の本は人々が買って当然といった奢る気持ちになるようだ。恥ずべきことと思う。自分は何のために書き、誰に読んでいただいているのかの原点を見失ったそういう人たちは、いずれ忘れ去られていくだろう。少なくとも、年数がたつにつれ、人々の支持をうしなっていくにちがいない(と信じたい)。
「ハイブロー読書術―読めば読むほどツイてくる本の話」 (98ページ) より
著者が読者から手紙を貰った場合、それにどう返事をするか。非常に興味深い。著者の対応の仕方で著者の本当の姿を知ることができる。執筆に忙しい著者は、とても返事をする余裕などないかもしれない。しかし、そういう状況であっても読者の手紙に真摯に答えるならば読者の信頼はますます深まることは間違いない。
私は、これまでに(去年から)5名の著者に本を読んだ感想を送っている(そのほとんどは手紙ではなくメールではあるが、メールを送ったのちに手紙を送ったケースもある)。その5名のうちの一人がハイブロー武蔵氏だ。
ハイブロー武蔵氏は、「本についての感想や著者に伝えたいことなどお手紙をお待ちしています」と著書の奥付に書いている。そこで昨日、このブログの記事と著書の感想を送った。返事は必ずあるはずだ。どういう返事が来るか楽しみに待ちたい。
私は、それぞれの著者についてその著書の間違った表記を指摘した。そうしたところ、他の4名の著者のうち、3名からは明確な返事を貰った。いずれもが表記の誤りを認めた。その一人からは、「文章がヘタですみません。こんなわけがわからんことを書いていてはいけませんね」という返事を貰った。
私は、著者がその間違いを認めざるを得ないのはある程度は予想していた。しかし、すぐにそういう返事があることなどまったく予想していなかった。かなりの時間を経てやむなく認めざるを得ないかと思っていた。
しかし、残りの一人からは何の返事もない。問い合わせして5ヶ月経つ。どういうことなのかまったくわからない。もし、その著者がセミナーとか講演会を開くというようなことがあれば、私はそこで質問してみたい。「著者は、読者の訳のわからないことを書いていて売れればそれで終わりでいいのですか」と。果たしてどういう回答があるか……。
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中島孝志氏の「ここだけの話」 [言葉・文章]
なぜ「ここだけの話」なのか、意味不明!!
ここだけの話だが、仕事のできる人、できない人の違いは「勉強頭」とは無関係である。どんなに勉強できようと知識が豊富だろうと、これは「仕事力」とはまったく関係ない。
逆に仕事ができない人はセールスの出張報告書一枚書かせてもヘタだ。「いったい、なにが言いたいの?」「頭の中がとっちらかってるんだよ」と、ここでも評価を下げてしまう。
どうすれば、考えていることをわかりやすく相手に伝えることができるのか?
どうすれば、インパクトのある文章、人を動かすシビレる文章が書けるのか?
これらのテーマにズバリ応えようというのが、本書の目的である。
「大人の文章術」 (中島孝志・著 3~4ページ) より
中島氏は、“ビジネスマン時代から「文章術」と銘打った類書は山ほどチェックしてきた。ところがいつも読みながら、「この部分、違うなぁ」「これ、おかしいよ」と合点がいかない点がいくつも出てくる”とも言っている。そこで、いい仕事をするため必要な文章術の本としてこの「大人の文章術」を書いている。
しかし、中島氏自身が「おかしい」と思って読んだ様々な文章術の本と同様に、この「大人の文章術」もおかしなところが少なくない。中島氏はこの本を書いて「いい仕事をした」と思っているのかもしれない。しかし、読者としては「何、この本は?」と言わざるを得ない。
>ここだけの話だが、仕事のできる人、できない人の違いは「勉強頭」とは無関係である。
この「ここだけの話」とは何か。どうして「ここだけの話」なのか。まったく意味がわからない。また、「勉強頭」とは何か。どう定義されるものなのか。調べてみたがわからない。「仕事力」も曖昧な概念だが、これは理解できないこともない。
どうしてこういう曖昧な言葉を使うのか。これは、その言葉に著者が一人で酔いしれているからではないのか。そうだとすればそれこそ「独り善がり」というものだ。
>それは仕事をする時、 ・・・・・・する習慣づけができていないからではなかろうか。
どうして「ではなかろうか」なのか。他のところでは明確に断定しているのにここでは控えめな表現をしている。ここでもやはり「・・・だからである」と断定した方が読者としてはすんなり理解できる(著者の主張に同意するかどうかは別)。
>これでは一流の仕事などできるわけがない。
>これらのテーマにズバリ応えようというのが、本書の目的である。
実に大上段に構えたものである。「一流の仕事などできるわけがない」ということは、「自分は一流の仕事ができる」ということであり、「ズバリ応えよう」ということは「自分はそれに応える能力を持っている」ということである。これで読者の共感を得られるとしたら大したものだ。恐れ入るほかない。
「著者の自己満足としか思えないような難解な本は、やはりよくないと思う。いくら人気があり、ベストセラーになっても、いずれ、馬脚が現れる。こういう本を書く著者は、おそらく人間的にも未熟なんだろうと思う。他人への配慮がない人なんだろうと思う」と、ハイブロー武蔵氏は言う。著者の見解(反論)を聞いてみたい。
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ハイブロー武蔵氏の読書指南 [言葉・文章]
何がいいたいのか、難しくてわからない本は読むべきでない
ハイブロー武蔵氏は、「とにかく何がいいたいのか、むずかしくてわからない本は読むべきでない。有害でさえある。なぜなら、おそらく書いている本人がわかっていないからである」と言っている。まさにその通りだ。
また、「よい本かどうか、よい著者かどうかは、その文章を書いている人の思いや気持ちがどれだけ誠実で強いものかによる」とも言っている。
書けば売れるという著者がいる一方で、無名なためにまったく売れないという著者がいる。私はそういう、無名ではあっても熱い志を持って書いている著者を読者の一人として応援したい。その反対に、むやみやたらに本を書いてはその発行部数を自慢するような著者は無視したい。
わからない本の中で、そうした意味でなく、著者の自己満足としか思えないような難解な本は、やはりよくないと思う。いくら人気があり、ベストセラーになっても、いずれ、馬脚が現れる。
こういう本を書く著者は、おそらく人間的にも未熟なんだろうと思う。他人への配慮がない人なんだろうと思う。すべての本あるいは学問は何のために存するのか。
それは人間とは何かを知るためにある。社会とは何かを知るためにある。それを知り、さらに人がしあわせになるためには、社会が発展するにはどうすべきかを考えていくことにある。この大原則を忘れてはいけない。この大原則を忘れなければ、そもそもむずかしくて、よくわからない本は書けないはずだ。
ペーパー試験を抜群の成績で通ってきたのかもしれないが、学者、研究者、評論家でこうしたことを忘れ去り、難解で読者が読んでもよくわからない本を書いている人は無視しよう。読む必要のない本である。
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「ナンバーワン」より「ナンバーツー」 [言葉・文章]
かつて、こんな宣伝がアメリカ市民に受け入れられた時代があった。
「エイビスはレンタカー業界でナンバーツーに過ぎません。だからこそ、ご利用いただきたいのです。私たちは一所懸命頑張ります」
13年間赤字続き。それが「業界ナンバーツー!」を宣言した途端、大幅黒字に転換してしまった。
理由は、この説明が全米の消費者に共感してもらえたからだ。その後、・・・(中略)・・・。 今度は、「エイビスはナンバーワンをめざします」という積極的な宣伝に転換。
人の心をつかむ説明は難しい。この場合でも、消費者の心の中に入り込むポイントは、「ナンバーツーである」というネガティブ要素を自ら認めて、それを、「大人の説明」でポジティブに転換してしまうことにあった。
「ナンバーツー」というメッセージがいったいどんな可能性を聞く人にイメージさせたか、を考えてみるがいい。
ほかにもたくさんあるが、少し考えただけでもこれだけ浮かぶ。あとは店頭に行けば、具体的にわかるというわけだ。
「大人の説明術」 (中島孝志・著 49~50ページ) より
説得力皆無!! ⇒ これこそが「大人の説明術」 ?
理由は、この説明が全米の消費者に共感してもらえたからだ。 ⇒ 言葉足らず (「この説明」がどうして全米の消費者の共感を得たのかを説明せずして「なるほど」とはならない)。
すると、また業績が悪化。 ⇒ 同上 (なぜ、「ナンバーツー」では業績がアップし、「ナンバーワン」では業績が悪化するのか、理解不能)。
「ナンバーツーである」というネガティブ要素を自ら認めて、それを、「大人の説明」でポジティブに転換してしまう ⇒ 意味不明
少し考えただけでもこれだけ浮かぶ。 ⇒ まったく浮かばない。
あとは店頭に行けば、具体的にわかるというわけだ。 ⇒ まったくわからない。
エイビスのナンバー2戦略!!
http://jibun.atmarkit.co.jp/lskill01/rensai/bizcom/02/01.html