中島孝志氏の「ここだけの話」 [言葉・文章]
なぜ「ここだけの話」なのか、意味不明!!
ここだけの話だが、仕事のできる人、できない人の違いは「勉強頭」とは無関係である。どんなに勉強できようと知識が豊富だろうと、これは「仕事力」とはまったく関係ない。
逆に仕事ができない人はセールスの出張報告書一枚書かせてもヘタだ。「いったい、なにが言いたいの?」「頭の中がとっちらかってるんだよ」と、ここでも評価を下げてしまう。
どうすれば、考えていることをわかりやすく相手に伝えることができるのか?
どうすれば、インパクトのある文章、人を動かすシビレる文章が書けるのか?
これらのテーマにズバリ応えようというのが、本書の目的である。
「大人の文章術」 (中島孝志・著 3~4ページ) より
中島氏は、“ビジネスマン時代から「文章術」と銘打った類書は山ほどチェックしてきた。ところがいつも読みながら、「この部分、違うなぁ」「これ、おかしいよ」と合点がいかない点がいくつも出てくる”とも言っている。そこで、いい仕事をするため必要な文章術の本としてこの「大人の文章術」を書いている。
しかし、中島氏自身が「おかしい」と思って読んだ様々な文章術の本と同様に、この「大人の文章術」もおかしなところが少なくない。中島氏はこの本を書いて「いい仕事をした」と思っているのかもしれない。しかし、読者としては「何、この本は?」と言わざるを得ない。
>ここだけの話だが、仕事のできる人、できない人の違いは「勉強頭」とは無関係である。
この「ここだけの話」とは何か。どうして「ここだけの話」なのか。まったく意味がわからない。また、「勉強頭」とは何か。どう定義されるものなのか。調べてみたがわからない。「仕事力」も曖昧な概念だが、これは理解できないこともない。
どうしてこういう曖昧な言葉を使うのか。これは、その言葉に著者が一人で酔いしれているからではないのか。そうだとすればそれこそ「独り善がり」というものだ。
>それは仕事をする時、 ・・・・・・する習慣づけができていないからではなかろうか。
どうして「ではなかろうか」なのか。他のところでは明確に断定しているのにここでは控えめな表現をしている。ここでもやはり「・・・だからである」と断定した方が読者としてはすんなり理解できる(著者の主張に同意するかどうかは別)。
>これでは一流の仕事などできるわけがない。
>これらのテーマにズバリ応えようというのが、本書の目的である。
実に大上段に構えたものである。「一流の仕事などできるわけがない」ということは、「自分は一流の仕事ができる」ということであり、「ズバリ応えよう」ということは「自分はそれに応える能力を持っている」ということである。これで読者の共感を得られるとしたら大したものだ。恐れ入るほかない。
「著者の自己満足としか思えないような難解な本は、やはりよくないと思う。いくら人気があり、ベストセラーになっても、いずれ、馬脚が現れる。こういう本を書く著者は、おそらく人間的にも未熟なんだろうと思う。他人への配慮がない人なんだろうと思う」と、ハイブロー武蔵氏は言う。著者の見解(反論)を聞いてみたい。
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