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東日本大震災から3年と1ヶ月   [東日本大震災]

風化してはならない震災の事実 
 
震災で線路や駅舎が津波にのまれ、全線が不通になった三陸鉄道(岩手県)の南リアス線が5日、北リアス線が6日、それぞれ全線復旧した。震災の復興がなかなか進まない中にあって素直に喜べる出来事だ。住民の足として貴重な鉄道だが、経営が健全化するには厳しい現実が立ちはだかる。
 
    http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140411_3 より (2014/04/11)
 
原発の再稼働について様々に論議されているが、震災の事実を記憶に留めて将来の教訓にするための震災遺構についても様々な意見がある。
 
震災の映像は、データーとして永久に保存できる。しかし、被害にあった建物の保存は難しい。被害者にとっては悲惨な記憶を思い出させるものでもある。

いかなる形であっても、私たちは震災の事実を風化させてはならない。機会あるごとにその事実に思いを寄せる必要がある。 

今日は、東日本大震災の月命日です。時間のある方は、「黙祷」お願いいたします。

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                        (写真は http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako より)
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東日本大震災から3年   [東日本大震災]

小谷川拳次さんのメッセージ
 

東日本大震災から3年が経った今日、小谷川拳次さんからメッセージをいただきました。その全文をここに転載します(行間を編集しました)。

   

こんにちは。小谷川です。今日は311日です。 我々、日本国民にとって一生涯忘れられない悲しい大震災の日から、ちょうど3年が経ちました。

   

私は昨年、今日お伝えする内容と同じメッセージをお送りさせて頂きましたが、私の想いは昨年から、全く変わっていません。あえて今年も、昨年と同様のメッセージを311日の本日、お送りさせて頂きます。

   

先の震災は、その後の放射能問題も含め、 政治・経済・社会の全てにおいて、日本を根底から揺るがす大地震でした。この震災の結果、震災による死者数は、15,884人にのぼり、 いまだ2,633人が行方不明となっています。 (2014310日:警察庁調べ)

  

また、今でも仮設住宅などで避難生活を送る方は約267千人に上るそうです。この震災によって、日本人であれば、直接的、間接的に、必ずや何らかの形で被害に遭われたかと思います。

     

本日は、まず、3年前の3111446分に この悲劇的な地震によって最も直接的に大きな被害を受けられた方々、特に、不幸にも突然、尊い命を奪われた方々に対して黙祷させて頂き、心からご冥福をお祈りします。

   

何の準備もできていないところへ、突然の大地震と大津波によって一瞬で尊い命を奪われた方々の無念の気持ちはいかほどのものであったでしょうか。

   

同じ国に住み、同じ歴史を共有している日本人として、お亡くなりになられた方々の気持ちを思う時、私は涙を流さずにはいられません。

  

それは皆さんも、きっと同じお気持ちだと思います。同時に、ご遺族の方々にとっても、やりきれないほどの本当に悲しい出来事だったと思います。

  

もちろん、被災地では、尊い命だけではなく、大切な家や土地や財産、社会的なインフラも同時に奪われてしまった地域もたくさんありました。

   

大切に育てていたペットや家畜なども地域によっては、壊滅的な被害を受けたと聞いています。本当に悲劇的な災害だったと思います。その後の政治的な対応も含め、現時点においてまだまだ被災地の再生には程遠く、様々な問題が山積みです。

  

しかし、私たちはこの震災から何を受け止め、どうこれから生きていく必要があるのか、本日は私の考えをシェアさせて頂きたいと思います。まず、私たちができることは、二つだと思います。

   

■私たちは震災を風化させてはならない

 

第一に、決して東日本大震災を風化させてはならないこと。この悲惨な事実に正面から向き合い、後世に伝えていくことです。

  

私たち日本人はどんな悲劇的な災害に直面し、どんな経験を経てきたのかを、次の世代にもしっかりと伝えていくことです。決して、風化させてしまってはなりません。

  

また、この震災から得られた教訓は数多いと思います。一言で言えば、こういった災害に直面した時、私たち自らの責任において、自分自身と、自分が大切にしている家族・友人・地域社会を守っていかなければならない、ということです。

 

災害後にはどんな行動を取れば良かったのか。普段から、どんな備えをとっておけば良いのか。もう一度、3.11から3年経った今日、考える機会を設けてください。私たちは、この悲しい出来事を決して風化させてはなりませんし、また、この出来事から学んだ教訓を忘れてはなりません。

 

■私たちは経済活動を止めてはならない

 

第二に、私たちは経済活動を止めてはならないこと。震災後から、しばらく無気力になった方々が多いことも知っています。

 

それは仕方のないことだと思います。あれほどの被害です。物理的にも精神的にも本当につらい状況だったと思います。しかし、尊い命を失われた同胞である15,884人の方々、そして、いまだ2,633人が行方不明だと言われる方々に対して、今、私たちができることは決して、日本を停滞させてはならない、ということです。

 

そして、特に大切なことは、経済活動を止めてはならない、お亡くなりになられた方々の分まで、私たちはこの国の経済を発展させるよう、努力しなければならない、ということです。

 

商品を販売できる人は、たくさん商品を売って下さい。サービスを提供できる人は、たくさんの方に奉仕してください。それこそが、日本経済を復興させる小さな、しかし、最も大切な歩みとなるのです。

 

最後に、東日本大震災でお亡くなりになられた15,884人の同胞たちに黙祷を捧げて、今回のメッセージの締めくくりとさせて頂きたいと思います。

 

よろしければ、皆さんも本日1446分には少しのお時間をいただき、亡き犠牲者の方々に黙祷を捧げていただければと思います。

 

それでは、今回は以上とさせて頂きます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

小谷川 拳次

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東日本大震災から2年と11ヶ月   [東日本大震災]

3年目のその日を一か月後に迎えるに当たって
    
 
 日本中が吹雪の予報となったこの日も、大川小学校の校庭に設けられた慰霊碑には、たくさんの人が訪れていました。厚い雲の下で雪まじりの横風が吹き荒れてる中、一人の青年が花を手向けにやって来ていました。「もうすぐ、三年経ちますねと」話しかけると、「僕らは、まだ三年しか・・・って感じですかね」と静かに答えてくれた青年。 
    
 

  
彼が鎮魂の鐘を鳴らす頃、偶然西の空が明るみ始めはじめました。雲の切れ間から明るい陽光が一筋に差し込み、慰霊碑に並んで建つ天使の像を照らします。大空に向け翼を広げた天使の足下には、「HOPE(希望)」の文字が刻まれています。
 
             

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                             宮城県石巻市「大川小学校」の校庭

                             児童74名と教職員10名の犠牲者を弔うために建てられた天使の象
                              http://www.mag2.com/o/touhoku/2014/0211.html

東北まぐ (2014.2.11 配信) より 
 
東日本大震災の直接の被害を受けなかった人にとって、震災の記憶は日々薄れていく。しかし、直接の被害を受けた被災者にとっては一日たりとて忘れらないはずだ。

多くの犠牲者が出た建物を震災遺構として残すことに反対する人たちがいる。それは、被災者にとってそこにそれがあるというだけで大きな悲しみに襲われるからである。 
   
避難所としては不適切であったのに、そこで避難訓練をしたために大勢の住民がそこに非難した。そして亡くなった。そういう建物を残すことに反対する遺族の気持ちは無理もない。そういう人たちにとっては決して消し去ることのできない記憶がそれぞれの身に染みているのだから。 

震災の被害を受けることのなかった私たちにできること。それは、私たちが震災の記憶をいつまでも忘れないということだ。少なくとも、年に一回の311日のその時にはそのことを何らかの形で示したい。戦争や様々な事件・事故の悲惨な事実と同様に決して風化させてはいけない。   
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東日本大震災から2年と10ヶ月   [東日本大震災]

みさご丸さんの漁師としての復興に掛ける思い

ブログ「山と土と樹を好きな漁師」を運営しているのがみさご丸さんです。東日本大震災に見舞われて家族で亡くなった人はいないものの漁師としての生活の基盤をすべて失ったといいます。

以下、みさご丸さんのブログからの転載です。
 

​​ 

     
東日本大震災で生じた[震災遺構]について考える。
岩手県では「震災遺構」について、津波被災沿岸5市町村で9カ所保存を検討しています。 
「震災遺構」の保存については、これまで住民の中でも意見がほぼ2分されています。
 保存に反対の人は、「あの嫌な時を、思い出して辛いからなくしてほしい」
賛成の人は、「将来の震災風化の防止のために残すべき」
 が大半の意見です。
 311東日本大震災では、被災者一人一人が皆違う体験をしています。だから、置かれた自分の「津波に対する思考が微妙に違います」
 例えば、その建物で無くなった家族などがいた方は、「観るのも辛い一方で、死者と出会える場所、拝むところが無くなる悲しみ」もあります。 「風化防止のために残すべき」という意見も大事な事です。
                                                                                                                     2014/1/11(土) 午前 7:15

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62747394.html より

 

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako

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東日本大震災から2年と9ヶ月   [東日本大震災]

あの日から1000日と6日・・・ 
       
時間は無慈悲に過ぎ去ります。6日前(2013.12.5)、東日本大震災からちょうど1000日が経過しました。しかし、復興への道は依然として厳しい状況にあります。
    
自分が被災者の立場であったらどうなっていたか。厳しい現実を前にして現在に至ることができたか。困難な現実に歯を食いしばって耐えて来れたかどうか・・・・・・。
 
      
もうすぐ震災から3度目の新年を迎えます。新年を心から喜べる日が少しでも早く訪れることを祈ります。 

写真は   t02200125_0800045512771217015.jpg
http://ameblo.jp/jishin-support-uccj/entry-11718344074.html より
        
NHK「こころフォト」
http://www.nhk.or.jp/kokorophoto/newsreport/0519.html
         
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東日本大震災から2年と8ヶ月   [東日本大震災]

寒い冬がまたやって来る

 

死者・行方不明者数(原則毎月10日警察庁発表)  2013/11/8現在

死者              15,883

行方不明        2,651

震災関連死(2013510日復興庁発表)    2013/3/31現在 2,688

避難・転居者数(20131025日復興庁発表)

10/10現在:282,111人(前回より3,895人減)

<内訳>

 避難者         15,018

 (内訳:避難所 67人、旅館・ホテル 0人、親族・知人宅等 14,951人)

 転居者(仮設住宅・公営住宅・民間住宅・病院等) 267,093

県外への避難・転居者数(20131025日復興庁発表)

10/10現在:岩手県から1,531人、宮城県から7,373人、福島県から50,633

 詳しくは、こちら。 http://hinansyameibo.seesaa.net/article/379709796.html 

この、数字を見るたびに、悲しみに包まれます。

日本でこんなに多くの人が一瞬にして亡くなった事実。

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62635491.html より

 

山と土と樹を好きな漁師  ← みさご丸さんのブログ (写真も)

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震災2年8カ月 「マスコミなんて来なくなった」風化との戦い

産経新聞 1110()2357分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131111-00000500-san-soci
 


東日本大震災から2年と7ヶ月   [東日本大震災]

様々な支援の形

 

イギリス在住の日本人有志によって結成された東日本大震災の復興支援グループ「TERP LONDON(タープ・ロンドン)」 。

 

現在、3代目の代表を務めるロンドン在住の下濱愛さんをたずね、活動についてお話を伺いました。

 

震災直後の20113月下旬、ロンドン在住の日本人起業家らが中心となり、中長期的な東北支援の継続を目標に活動がスタートしました。現在は、イギリスを起点に東北支援を行う人たちのプラットフォームとして、重要な役割を果たしています。タープという団体を活用して、多くの人が東北支援に携われるように環境を整えるのが、タープの役割となっています。東北支援のポータルサイトとしてイギリスでは広く知られているWebサイトの運営をはじめ、ニュースレターの発行、ロンドン市内のパブを貸し切って定期開催される「ボランティアパブ」という支援者同士の交流イベントも活動の一環です。

 

下濱さんは活動の1年目を「”私たちに出来る事は何でもやってみよう!”というスタンスで、チャリティーコンサートの企画やイベント出展、募金の呼びかけなどアイデアを形にする事に奔走していました」と振り返ります。2年目からは、イギリスで支援活動を行う人たち同士の横の繋がりを構築し、立ち上がった活動が継続する為の素地作りに注力したといいます。3年目を迎えた今年は、東北沿岸部で自立しようと事業を立ち上げた被災地の人々に対し、支援を展開しています。東北沿岸の手仕事による産品をイギリスで販売する為、東北の生産者とイギリス国内に販路を持つ支援者を引き合わせ、販路構築のサポート行っています。さらに、イギリスで販売しやすい色やデザインをリサーチし、東北の生産者に対して直接フィードバックを行うなど、より踏み込んだ関係を築いています。

 

去る4月にイギリスで行われたクリケットのチャリティーマッチでは、日本代表とイギリスの名門クラブが対戦。日本チームの観客動員としては、史上最多となる観客が詰めかけたといいます。会場では多くの募金が集まり、気仙沼でクリケット大会を実現させる動きに繋がっています。

 

「日本でボランティアやチャリティーというと、手弁当で滅私奉公するイメージがあって、関心はあっても躊躇している人が多いんじゃないでしょうか」という下濱さんは、チャリティー文化が古くから根付くイギリスの良き風習を日本に発信したいと考えています。イギリスでは、ボランティアやチャリティーを「一方の人間が何かを与える行為ではなく”お互いに喜びを分かち合う参加の意識”で捉えている」といいます。

 

遥か1万キロの彼方からでも、思いを形にして届ける事が出来ることを示してきたタープの活動。今後の活動は?という問いに下濱さんは「いま必要なことは何かと考え、思いを持った人たちが出来るだけたくさん参加出来る活動を続けて行きたい。」と話してくれました。(岸田浩和) 

 

東北まぐ】 2013/10/11号 より

 

「東北まぐ」は、一人でも多くの人が東北に足を運ぶきっかけとなることを願って発行されています。

 

河村龍一も親戚を震災で亡くしました。今年の8月にようやく被災地を訪ねて慰霊しました。できることなら私も彼と同行したかったのですが、日程の調整がつかずに実現しませんでした。

 

「『死んでほしい』と思うような悪党が、のうのうと生き永らえているのにもかかわらず、『もっと生きてほしかった』と、願っていた多くの人々や幼い子どもたちが震災の犠牲者となってしまった。この世は不条理ですね」と、彼は言っています。

     

今日は、11日の月命日です。今日であの日から、2年7ヶ月が経過しました。

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62574444.html 

   

人件費だけで月に18億円? なかなか進まぬ東電補償業務の実態

http://dot.asahi.com/news/incident/2013073100009.html

 

言葉を失う被災地の惨状

http://mayonaka-kansyutyou.blog.so-net.ne.jp/2013-08-17

 

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東日本大震災から2年半   [東日本大震災]

必ず復興なることを信じて

 

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解体が発表された、気仙沼市鹿折地区の住宅地に座礁した漁船「共徳丸」(宮城県気仙沼)

   

貯水槽タンクからの汚染水の漏れがいま大きな問題となっています。東京オリンピックの2020年の東京開催が決定しましたが、決定に至るまでの最大の壁がとなっていたのがこの汚染水の問題でした。

 

安倍晋三首相は、東京電力福島第1原子力発電所の汚染水問題について「東京には何のダメージもない」と安全性を強調しました。しかし、7年後に汚染水の問題が解決するという根拠はどこにもありません。事態は悪化することもあり得ます。

 

東日本大震災に対して東京電力の原発の安全帯対策はほとんど無防備といえるものでした。安全神話にあぐらをかいていました。原発の安全に責任を負うべき関係者はそれ相当に処罰されるべきです。しかし、関係者の処罰を求める被災者の声は裁判所に却下されました。

 

原発の事故は人災でした。被災者の生活を根底から崩したその事故の責任が誰も問われないというのは被災者としては納得できるはずがありません。被災者でなくても本当に怒りを禁じ得ません。

 

2年半の歳月が経ちましたが、復興は遅々として進んでいないといいます。しかし、小さな積み重ねが必ず大きな実りを生むことを信じたいと思います。そして、東京オリンピックの開催が復興を後押しするものになることを期待したいと思います。

    

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まぐまぐ! 2013/09/11

 

津波によって遥か内陸に乗り上げた、大きな漁船の光景をご存知でしょうか。気仙沼市内の鹿折地区に座礁した「共徳丸」です。津波被害を象徴する光景として、世界中に取り上げられて来たこの船も、ついに取り壊しがきまったようです。存続か解体かを巡り様々な議論が行われる最中の、取り壊しの決定でした。

 

取材中にお話した地元水産会社の社員は「賛否はあったが解体は残念」と言い「船は解体されるけど記録には残る。あとは自分たちの記憶に残して行くしかない」と語ってくれました。

 

日々移り変わる東北の光景。震災の記憶と関心は薄れてきましたが、2年半を経た沿岸部には、この災害を乗り越えて来たまちの“いま”があります。

 

水産会社の社員は共徳丸を背に「一度来て見て、ありのままを感じてほしい。そこから始まる何かがあるかもしれませんから」と語り、蒼い空を見上げます。(岸田浩和)

 

http://www.mag2.com/o/touhoku/2013/0911.html より


東日本大震災から2年と5ヶ月   [東日本大震災]

猛暑の中での厳しい復興作業

 

東北地方は当時、まだ雪が舞い降りていました。あの日から2年と5ヶ月の歳月が流れました。今、厳しい暑さが続いています。原子力発電所の稼働が止まっているところにこの猛暑です。今夏、節電の数字目標は設定されていませんが、少しでも無駄な電力消費は控える必要があるのは言うまでもありません。

 

室内で仕事する人は暑さを扇風機やエアコンで凌ぐことはできます。しかし、戸外で強い日差しを浴びながら仕事している人はそういう訳にはいきません。被災地で瓦礫や汚染土壌の除去などに当っている人は本当に大変だろうと思います。

 

被災地の復興は遅々として進んでいません。被災地と離れて生活する私たちにできること。それは、被災地で今なお辛い思いをしている人が大勢いるということを常に忘れないという事です。

 

今日は2011・3・11東日本大震災から・・・。 2年5ヶ月目の「月命日」です。 そして、間もなく3回目の「お盆を迎えます」~子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。 ← ブログ「山と土と樹を好きな漁師

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