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東日本大震災から3年と11ヶ月   [東日本大震災]

転載  転載元  山と土と樹を好きな漁師

【めっきり、報道が減ってる中で、東京新聞でこうした記事を報道して頂くことはありがたいことです。~吉野悠我さんが、「東日本大震災と戦後70年 歌と語りで表現」する【うたがたり】公演します。

東京新聞は2015年2月10日【東日本大震災と戦後70年 歌と語りで表現】という見出しで、俳優で歌手の吉野悠我さんが、「東日本大震災と戦後70年 歌と語りで表現」する【うたがたり】公演までのいきさつを含めて報道してくれました。
さすが、東京新聞です。 
その内容を紹介します。
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俳優で歌手の吉野悠我さんが、「東日本大震災と戦後70年 歌と語りで表現」する【うたがたり】公演します。
今でも、こうした活動してくださるプロの俳優で役者の吉野悠我さん。ありがたいことです。
▼【うたがたり】は14年夏に石川で初めて公演し、東京は2カ所目。
芸名の名付け親でもある故森繁久彌さんの曲「フラメンコかっぽれ」「能登の夢」など昭和のヒット曲十数曲も披露する。
13日午後7時から、品川駅高輪口の品川プリンスホテル「Club eX」で。一般5千円、学生2千円。
問い合わせは、企画制作のコンコルディア=電話03(6427)5688=へ。
 
このいきさつについては東京新聞記事から・・。
震災前の2011年3月、浪曲「岸壁の母」を歌う二葉百合子さんが1年後の引退を表明しました。「岸壁の母」は、終戦後に引き揚げ船で息子が帰ってくるのを、日本海の舞鶴港で待ち続けた母がテーマです。同じ日本海側の石川県で生まれ育った吉野さんは、誰かが歌い継がねばと強く思ったのです。
 11年3月の震災直後、テレビの東日本大震災のドキュメンタリーで、つえをついて行方不明の娘を捜す両親の姿を見たのです。「岸壁の母」とイメージが重なり、自分が歌ってみたいと強く思うようになった。だが、浪曲を完璧に歌う自信はなかった。
 震災から2カ月後、宮城県名取市の海岸から数キロ離れた集会所に、仲間と清掃ボランティアに訪れた。
集会所の壁には軍服姿の古い遺影が20枚以上、掲げられていた。この周辺では800人が津波で流さて亡くなったと聞いたのです。
布で泥をぬぐううちに、彼らの無念さが伝わってきて、「下手でもいい、気持ちで歌いなさいよ」と、背中を押された気がした。


 吉野さんは役者ならではの表現があるはずだ。
東日本大震災と戦後70年を歌と語りで演じようと決めた。声楽レッスンに励み、歌の合間に日々の何げない生活の喜びや悲しみ、笑いなどを一人芝居で語る「うたがたり」という独自の手法を考えた。
吉野さんは「父の兄が戦死していて、父も水上飛行訓練中に終戦を迎え、『(生還できない)特攻に行ったかもしれない』と話していた。『岸壁の母』を聴いたのは高校生の時。自分と同世代の人が帰らぬ人になったことが強く印象に残った」と平和への思いを語る。震災と戦後70年を重ね「命に対する愛、命が生み出すもの、子を思う気持ちがより強くなった。命懸けで歌いたい。何かを感じていただければ」と話す。
<よしの・ゆうが> 1955年、石川県能美市生まれ。俳優・歌手。明治大政経学部卒業後、文学座を経て映画、テレビ、舞台、ラジオなどで活躍。現在は劇作家の別役実(べつやく・みのる)作品で主役を務め、欧州などで公演。主な出演作はテレビドラマ「意地悪ばあさん」「長崎ぶらぶら節」、NHK朝の連続テレビ小説「さくら」など。
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【東日本大震災と戦後70年 歌と語りで表現】
東京新聞  2015年2月10日
【画像 せりふを書いたノートを手に「うたがたり」について語る吉野悠我さん=東京・渋谷で】
ボランティアで東日本大震災の被災地を訪れた時、戦時中に戦地から帰らぬ人となった若者の写真を見つけた。津波で泥をかぶっていた。舞台俳優などとして活躍する東京都世田谷区の吉野悠我(ゆうが)さん(59)は、この体験から被災地と戦70後年への思いを歌と語りで表現しようと決意。13日に港区のホテルで公演する。 
ーー以下略ーー
http://www.tokyo-np.co.jp/…/na…/news/CK2015021002000258.html

東日本大震災から3年と10ヶ月   [東日本大震災]

 転載元 転載元: 山と土と樹を好きな漁師

【今日は2011.3.1東日本大震災から、3年10ヶ月目の月命日です】

~被災地に思い馳せてどうか1分だけ、黙祷をお願いしたいと思います。~

今や、「津波被災地など終わったこと」というイメージを持ってる方々いますが、そうではあえりません。
政府も「3.11は終わってる」そんな言動があります。そういう臭いものには蓋をしたいような政権です。大手マスメディアもそれに配慮して報道しません。

津波被災地も原発事故も現在進行形なんです。時間と共に進まぬ復興に増々心は不安で焦りが増しているのです。

▼これは、被災したときの岩手県・田野畑村島越地区全てが流されて無くなっていました。(この撮影した時は、夢なのか現実なのか・・? そんな思いでした。)月命日には、震災で亡くなったり、行方不明の方々の魂が、天から降りて来ます。 今の、辛いながらも懸命に生きてる。生き残った僕達の、姿を見届けて、また天に昇っていくのでしょう。


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あと2ヶ月で、あの日からまる4年になります。

とにかく、まだまだ被災者の心は、不安だらけなんです。このような状況をあの日なくなられた方々が天で眺めて、どう思ってるのか・・。

今日の月命日。どうか1分だけでいいです。

黙祷をお願いしたいと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/63430087.html より(抜粋)

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東日本大震災から3年と9ヶ月   [東日本大震災]

転載元 転載元: 山と土と樹を好きな漁師

【今日は、あの日から3年9ヶ月の月命日です。】

ーー長文失礼


今、年末の忙しい時期に、「衆議院の選挙」が行われていますが、争点は「経済対策ーアベノミクスの是非」が争点となってると報道されています。

本当にそこが大事なことなんでしょうか・・? 僕は疑問を感じます。
僕が思う争点は、「安倍政権がこの2年でやってきたアベノミクスを含た、全ての事の是非」を問う選挙であるべきだと思います。
それには、
 
イメージ 4

①武器輸出3原則の見直しに始まり、②特定秘密保護法の制定、③集団的自衛権行使の閣議決定、④原子力発電の積極的推進政策、⑤靖国参拝による日中・日韓の亀裂、⑥地球儀俯瞰外交と称するバラマキ 等々であるのです。
当然その中には、「被災地の復興」も含まれています。そに復興ですが、先の選挙での自民党の公約は1番目に「被災地の復興」を揚げていまました。
しかし、被災地で暮らしてる限り、とても政権が「被災地の復興」としてやってきたとはとても思えません。
 
イメージ 1

そしてまた、こうした事を、まるで「臭いものに蓋をする」かのようなマスコミ操作し、マスコミ大手は殆ど、選挙の争点ともならない報道です。
ましてや、東日本大震災の被災地の報道など今や皆無に等しい状態です。
だから、もう311は復興が終わったかのように、国民に錯覚をもたらしています。
もし、あなたやあなたの周りで、「東日本大震災の復興が終わった」と思ってる方がいたら、それは大きな間違いです。
高台移転工事は始まったばかりです。工事業者、人手不足で進んでいません。
例えば、原発事故の除染土を見てください。そのまま放置されています。津波襲来地域はそのまんま手がついていないところがほとんどでなんです。
これと、反比例して被災者の心は、ますます辛いものとなっているのです。
これは、次に想定されている、都市直下型地震や、東南海トラフ地震の防災面で非常にマイナスになろうと僕は思うのです。
 
 
 (以下省略)             にほんブログ村 経営ブログ マネジメントへにほんブログ村

東日本大震災から3年と8ヶ月   [東日本大震災]

転載元 転載元: 山と土と樹を好きな漁師

【忘れない。11東日本大震災】

昨日は311東日本大震災から3年8か月目の月命日でした。



恒例の行方不明者の捜索を昨日も行っていました。

祈り、黙祷。心から感謝いたします。

先は、まだまだ長い道のりのです。

これからも被災地を応援してください。

東日本大震災から3年と7ヶ月   [東日本大震災]

石原伸晃氏の発言に関して、まさに「この親にしてこの子あり」という辛辣な批判
  

以下、原発被災地担当の環境相の石原伸晃氏の発言に関して、藤原新也さんのブログより転載(抜粋)。


この親にしてこの子ありとは良く言ったもので、伸晃も親の慎太郎同様”弱者嫌い”で慎太郎は一度も伸晃もほとんど被災地に足を運んだことがない。
 

幼少期に何かトラウマがあるのか、弱者を見ると虫ずが走るらしい慎太郎が震災地に足を運ばないのは致し方ないとしても、伸晃はまがりなりにも原発被災地担当の環境相である。
 

にも関わらずこの男は現地で行われる公聴会には一度も出ず、いや現地の人によると一度来たそうだが、ただ形式だけ顔を見せ、さっさと帰ったそうだ。
「石原さーんと呼び止めたんですが、後ろを向いたままチョンと片手を上げてそそくさと出て行ってしまいました。

 
せっかく被災者の生の言葉を聴く機会があるというのに、ほんとうにもったいないことです」

 
伸晃の言った「最後は金目」でしょの金目とは「最後は金目的でしょ」という意味だが、現地のことを知ろうともせず、あいつらは金目的だと決め込んでいるこの男はやはり、他者のことをまったく理解しょうともせず、自分本位の誤解を押しつける親の性格そっくりで、今回の屁のような出来事を見るとやはりオヤジを思い出す。

 
いつだったか、オヤジは知った風な顔をして「(生活に困った若者が泊まる)ネットカフェなんてあんなもんファッションだよ。一日1500円も払ってるんだから、金がなきゃ下町の山谷なんかに行けば300円でも400円でも泊まるところはあるんだから、そこに泊まりゃいい」

 
と言って台東区の区長がそんな安く泊まれる寄宿は世の中にはないと、コメントしていたが、要するに世間知らずのお坊ちゃんがしたり顔で世間を語りはじめるとロクなことはないという親の行状パターンがあたかも遺伝子のように立ち現れたのが今回の「金目」発言ということになる。

 
どうやらほとんど行かなかった原発被災地に伸晃は行って、今回の失言を謝るそうだが、これは失言ではなく親由来の家訓のようなものだから謝ったから何が変わると言うような代物ではない。

 
もし謝罪したいという改悛の気持ちがあるのなら自己保身のための謝罪行脚ではなく、そのまま被災地に居残って被災地の現状を見て回るのが本当の謝罪である。

 

世間知らずのお坊ちゃんがしたり顔で世間を語りはじめるとロクなことはない

2014/06/24(Tue)

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php より

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東日本大震災から3年と6ヶ月・・・   [東日本大震災]

東日本大震災から3年と5ヶ月   [東日本大震災]

震災を経て感じた飲食店の役割
 


震災から2週間足らずの2011年3月25日。原発事故対策に関わる人たちの前線基地になっていたいわき市には、緊迫した空気が流れていました。沿岸部では、津波被害者も多数でており、ほとんどの飲食店は営業を見合わせたままでした。

「やきとり大吉」のマスター正木聡さんは、家族を一時避難させましたが、いわきに戻って店の再開準備を始めました。「こんな時期に店を開けても誰も来ないだろうし、何を考えているんだ?と批判されるかもしれない」と考えましたが、店の提灯に明かりをともしてのれんを上げました。

いわきに残っていた常連客や友人が、店の明かりに吸い寄せられるように集まり、あっという間に満席となりました。店にやって来た正木さんの友人が席につくなり「家族が流されてしまった」と頭を抱え、話しながら感極まって涙を流しはじめました。

たまたま隣あわせになったお客さんが「うちも家族と会社が流されて、どうしていいのかわからない。でも自分の命はこうして残ったんだから、とにかくがんばろうやっ!」と声を掛け、背中をどんとたたきます。
  

この日ばかりは見知らぬお客同士も他人と思えぬ雰囲気で、お互いを励まし、支え合う姿が店中に広がっていました。

東北まぐ37号 (2014.8.11 配信) より

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東日本大震災から3年と3カ月   [東日本大震災]

苦悩する自治体
 


職員の疲弊 重責抱え燃え尽きも

 「町の農業の再興のために必要な事業だと心底思って取り組んできました」
 

 人けのない静まり返った日曜日の町役場。4月27日、山田町農林課の課長補佐を務めていた男性職員(59)は、町長に宛てた遺書にこう書き残し、5階の窓から飛び降りた。「悔やんでも悔やみきれません」。遺書には、後悔の言葉もつづられていたという。
 

 町などによると、震災で自宅の被災は免れたが、町内に住む妹を失った。毎週日曜、翌日からの仕事の準備をするために出勤するほど、真面目な職員。農林課では被災農地の復旧と、大規模化のための圃場整備などの実務を統括し、事業主体である県と農家の間で調整を行っていた。
  

 定年退職まで1年を残し、なぜ死を決意しなければならなかったのか。男性の妻は「思い当たることはない」と声を詰まらせる。
  

 ただ、同僚らによると、農家から事業の同意を取り付ける際に難航するケースや、事業の実施が決まっても、農業者の高齢化が進む中で思うような営農計画が策定できない地域もあるなど仕事面で苦労していたという。

 

 同町にとって圃場整備は約30年ぶりの大事業。多額の税金が投入される中で「失敗できない」という重圧があったのかもしれない。
  

 豊間根和博総務課長は「本当の理由は分からない」としながら、「思い描いた通りに事業が進まないことに悩んだのではないか」と推察する。「職員は皆それぞれ苦労しているが、責任感が強く、真面目な人間はなおさらだ。本当に悔しい…」

    ( 中  略 )

 岩手医大医学部災害・地域精神医学講座の大塚耕太郎特命教授は「被災地では年を追うごとに物理的、心理的ストレスが積み重なりスタミナ切れする人も出ている。特に行政職員は『仕事をやって当たり前』と思われがちで、肯定的な評価を感じにくい。住民と向き合う中での葛藤もあるだろう」と指摘する。
  

 各自治体では職員のストレスチェックや個人面談、管理職研修などを通じてメンタルヘルスのケアに努めているが、山田町の職員のように見過ごされるケースも出てしまう。
  

 大塚特命教授は「今対策を打たないと患者がさらに増加する危険もある。体と心のトータルの健康管理が重要。誰でも心の病を患う可能性があるとの前提に立って、職場全体の態勢づくりが求められる」と訴える。

2014527

http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/saiko/saiko140527.html  より


岩手日報WebNews

http://www.iwate-np.co.jp/index.html
    

言葉を失う被災地の惨状
http://mayonaka-kansyutyou.blog.so-net.ne.jp/2013-08-17
 

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東日本大震災から3年と2ヶ月   [東日本大震災]

記録することの意味

  

東日本大震災から丸三年が経過した。あの時、何が起き、あれから何が起こっているのか。被災地に密着し続けた記者たちが綴る、震災と生活を主題とした東日本大震災レポート「震災以降」が発刊された。ジャーナリスト、渋井哲也、村上和巳、渡部真の3人をレギュラー執筆陣として、約20名の記者やライターが、それぞれの視点から見た3年間のレポートを綴る。

  

被災した地域で暮らしている人々が、どのような問題を抱え、どんな思いで暮らしているのかを丁寧な取材から浮き彫りにしていく本書では、「東北まぐ!」の取り組みについても、本書の6章で紹介頂いた。 

  

また、5月22日21時からは、本書の発売を記念しインターネット番組が配信される。著者の渡部真さん、亀松太郎さんと共に東北まぐ記者の岸田も出演し、3年間の東北被災地取材を通じた記者として視点やこれからのメディアのあり方など、「被災地を伝えること」をテーマにお話しする予定。 (配信5/22 2100
                                                    (岸田浩和) 

東北まぐ (2014.5.11 配信) より

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