なぜブログか 118 [ブログ]
ブログ「考えるための書評集」
>わたしは読むに値しないと思った本も書評に書く。書評はそういう本をより分ける導きでもあるべきだと思っている
同感だ。読者は貴重な時間を費やして本を読んでいる。著者が時間を掛けて書いている点では同じだが、訳のわからない記述で読者が理解に苦しむということは、読者の貴重な時間を無駄に奪う。
著者によっては、執筆にさほどの時間を書けないというケースもあるのではないか。口述筆記というケースもあるだろう。書き上げたものを十分に推敲しない。編集者もそれを手直ししない。だからこそ粗製乱造に近い本が巷に溢れることになる。
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見城 徹の編集者としての執念
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-10-05
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わたしは読むに値しないと思った本も書評に書く。書評はそういう本をより分ける導きでもあるべきだと思っている。商業印刷物の書評は売るための書評をのせるものかもしれないが、ブログの書評は売るためだけに書かれるのではない。
おもしろい文章を書くためにいいところ、悪いところを言語化してみるといっている。そういう理解がないと自分の文章が悪文と同じわだちをふんでしまうといっているのだが、書評でも同じだろう。悪いことを書くということはその失敗の理由を理解して、ほかの本でも失敗しない理解をかたちづくることでもあると思う。
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1711.html よりおもしろい文章を書くためにいいところ、悪いところを言語化してみるといっている。そういう理解がないと自分の文章が悪文と同じわだちをふんでしまうといっているのだが、書評でも同じだろう。悪いことを書くということはその失敗の理由を理解して、ほかの本でも失敗しない理解をかたちづくることでもあると思う。
>わたしは読むに値しないと思った本も書評に書く。書評はそういう本をより分ける導きでもあるべきだと思っている
同感だ。読者は貴重な時間を費やして本を読んでいる。著者が時間を掛けて書いている点では同じだが、訳のわからない記述で読者が理解に苦しむということは、読者の貴重な時間を無駄に奪う。
著者によっては、執筆にさほどの時間を書けないというケースもあるのではないか。口述筆記というケースもあるだろう。書き上げたものを十分に推敲しない。編集者もそれを手直ししない。だからこそ粗製乱造に近い本が巷に溢れることになる。
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2014-01-25 11:22
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