読書の大切さ   [教育]

読書から得られるかけがえのないもの 

日刊メルマガ 【365日の書く力!】 効果的な読書3つの原則
 子どもの頃から、本をよく読んでいた私。10代後半、およそ1000冊を読破したあたりから、いろんなものが見えてくるようになりました。
 あなたがまだ若く、10代~20代、特に学生なら、古典や名作、ロングセラー本を中心に、まずは1000冊読むことをお勧めします。量をこなしたという実感が大事なので、ライトノベルやマンガ本も数に入れて構いません。
 あなたが30代以上、あるいは忙しいビジネスマンなら、質を求めたほうがいいでしょう。必要な情報にフォーカスしあとは切り捨てていかないと、あっという間に時間が足りなくなってしまうからです。
 私は、作家であり書籍編集者であるという職業上、ここ10年来、量をこなす読み方をしています。しかし、私のような読み方=濫読は、誰にでもお勧めできるものではありません。たいていの人にとっての天職、この世におけるミッションは、私とは違って、本づくりではないはずだからです。
 そこで、本を読む際、これだけは意識しておきたいということを、誰にでも当てはまる3つの原則にまとめてみました。
【原則1】 読んだらすぐに行動する
【原則2】 不要と思ったら途中でやめる
【原則3】 読み捨てにしない

理解できない、面白くないと思った本に、無理して最後までつきあう必要はありません。

1回読んで理解できるのは、全体の3割以下。理解して「腑に落ちる」まで、最低でも3回読むことが必要です。

 まったく同感です。時間は有限です。いい情報に接した時は、それを頭の中に刻み込むためにも何度も読み直すことは意味のある大切なことです。

しかし、頭の中だけで「なるほど」と思っても、私たちは時間の経過とともにそれを忘れてしまいます。そうなってしまっては本を読んだ意味がありません。それを意味あるものにするためには、やはり、それを書いて記録することも非常に意味を持って来ます。

読むという事は、情報を取り入れる行為です。取り入れた情報を整理して記憶するためにはやはり書くという事が非常に大切です。 私にとって「書く」という事は、このブログを綴るという事そのものです。

読書の大切さ
http://blog.goo.ne.jp/hajimejuku/e/733004d1affb20eb7293c73488db9a5f

読書のすすめ――本から学ぶことの効用と古典の重要性
http://diamond.jp/articles/-/17022

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あの日から一年と11ヶ月   [教育]

未来を担う若い力に期待 

東日本大震災からまもなく2年になります。福島第一原発が津波に対して無防備と言える状況であったことから、原発の破壊による影響は計り知れないほどに大きいものでした。当時、絶望的かと思われた被害状況も関係者の賢明な努力により沈静化に向かいました。

しかし、現状は決して楽観できません。除染作業で除去された土壌の廃棄場所が未だに確定していない状況にあります。除染の効果も決して安心できるものでもありません。

震災関係の書物が書店に氾濫していた時に手に「これからを生きる君たちへ―校長先生からの心揺さぶるメッセージ」を手にしました。それは、教育者としての思いが溢れる、心打つものでした。

特に、 「被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するとともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立を誓っていきたい。巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれという、立教新座中学・高等学校校長のメッセージにはこの上なく共感しました。

こういうメッセージを貰うことができる生徒は幸せだと思います。そういう生徒の中から必ずや将来の日本を背負って立つ若者が現れることを願わずにはおれません。いや、必ず現れると思います。

 

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これからを生きる君たちへ―校長先生からの心揺さぶるメッセージhttp://booklog.jp/item/1/4107902269 

これからを生きる卒業生に贈るメッセージhttp://ameblo.jp/yumetorinoki/entry-10887212064.html


相次ぐいじめ・体罰事件   [教育]

デヴィ夫人が的確な指摘

  

デヴィ夫人のメルマガが配信されました。その中で相次ぐいじめや体罰の問題に触れています。私はそれを読むまで気が付かなかった(忘れていた)のですが、相撲界においても同様の事件がありました。あのときも大きな問題になりました。

  

本当にどうしてこうも同じことが続くのかと思います。警察官の不祥事と同様に・・・ (続く)

  

【デヴィ】いじめ・体罰の横行の衝撃  (2013.2.2 配信)

実際、この前のロンドン五輪では、お家芸と言われる柔道での金メダル獲得は、たった1つだけだったのです。男子に至っては金メダルは1つも獲れていないのです。これは、体罰という深刻な問題が反映しているのではないでしょうか。 「暴力」と「五輪出場の座」をめぐる、異様なプレッシャーや恐怖に萎縮し、本来の能力が発揮できていなかったのではないでしょうか。

柔道以外にも角界でも親方の暴行で、数人の死者を出したことを、忘れてはならないと思います。アテネ五輪の時、予選で落ちた韓国の女性選手を、平手打ちする監督を見たカナダの選手がIOCに報告、IOCは即座にこの監督を大会から追放処分にしました。「いじめ」は"犯罪"であり、「体罰」も暴行という"犯罪"だと思います。

「体罰」を必要と考える教諭や指導者達は、「体罰」を"熱意"だとか"愛のムチ"などと勘違いしている人だと思います。その方達は、教育や指導の現場から、即刻、排除した方がいいと思います。

警察官・警察職員の懲戒免職 過去最悪      (2013.1.31 NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130131/k10015187591000.html

体罰とイジメとシゴキ、体育会と戸塚ヨットスクールと相撲部屋

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/0141922a403e43dde2bb07e7e7049337

  
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人の上に立つ者に必要な資質   [教育]

指導者はどうあらねばならないか

 

私の思う「指導者」のあり方…

http://ameblo.jp/tm7041/entry-11349098358.html

「相手と心を通わせたいなら楽をしようと思わないこと。こちらが心を砕くしかないのだ。」と、思っています。こちらからの立場を押しつけるばかりでなく、「相手の立場になって考えること」が、信頼関係を築くための鉄則だと思っています。

やはり、選手と指導者という関係の中では、子どもたちにとって「指導者は絶対」的です。ともすると、指導者がその立場をいいことに、ただ自分の感情をぶつけるだけになってしまいがちになる…

「厳しさ」の意味を取り違えてはいけないのです。選手と指導者という立場である以上、 指導者は「教育者」であらねばならないと思っています。子どもたちに「監督!」「コーチ!」と呼ばせている以上、“人生の模範”であろうとしなければならないはずです。そこをないがしろにしてしまっては「教育」ではない。

私たちの「声」ひとつで子どもたちに喜びが広がる。子どもたちが自信をもって安心して前へ進んでいける。チームとしての団結を築いていけるかどうかは、相手を思う、一つひとつのこまやかな配慮を重ねるところから始まるはずです。

そして、そうした小さな心がけの積み重ねが、大きな勝利をつかむ原動力になるのです。

 

  ( 作 成 中 )

 

指導者に求められる資質は好むと好まざるとに関わらず、指導者になったその時から無限に人の師たる自覚と責任の重さを伴うものであり、そのことを思わずして指導者の資格はないというべきである

http://www.genseiryu.jp/rules/index.html

     

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内紫被告に懲役5年の実刑判決   [教育]

揺れる日本柔道界

  

相次ぐ不祥事の背景に何があるのか。 ( 作 成 中 )

   

柔道メダリスト内柴被告に懲役5年の実刑 東京地裁判決

準強姦罪  2013/2/1 11:50 

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0101V_R00C13A2CR0000/

  

体罰事件の背景にある 体育会型マネジメントへの依存

http://news.livedoor.com/article/detail/7360650/

       

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教育者としての資格を疑う   [教育]

大阪市立桜宮高校の体罰自殺事件

       

 いじめで自殺に追い込まれた中学生がいるのにそのことが教訓として生かされていませんでした。バスケ部主将の2年生が体罰を苦にして自殺した事件は、教師としての資格が問われるべき事件です。なぜこうした悲劇が繰り返されるのか。命を掛けて訴えた生徒の声がどうして届かないのかと思うと、怒りを禁じ得ません。 

桜宮高校では、バレー部でも体罰があってその顧問が休職という処分を受けているといいます。それなのに今回の事件が発生したという事は、教訓がまったく生かされていないという事です。「その事件が本当に教訓になっていれば、今回のことは起きなかった。管理職、それから教育委員会は、何とかできたはず」と自殺した生徒のお母さんはコメントしています。まったくその通りです。

大阪・高校生自殺 バレー部でも体罰「改善に努めなかった」http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00238343.html 

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犯罪という意識の欠如   [教育]

後を絶たない万引きによる被害

  

万引き、という病〈ルポルタージュ現在〉

http://digital.asahi.com/articles/TKY201301070425.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201301070425

東京・霞が関、東京簡裁の728号法廷。年の瀬まで、窃盗の公判が途絶えることはなかった。

「懲役10月。わかりますね」。判決を早口で告げる裁判官に、40代の被告の女性は身を硬くした。実刑は初めてだった。

昨年3月、ホワイトデー商戦のにぎわいのなか、サンダルを万引きした。「買えるお金をもっており、同情するだけの事情はない」と裁判官に指摘された。

どうしてもやめられない万引き。話を聞いてくれた国選の弁護人に促され、窃盗癖の治療を始めていたが、それも打ち切りだ。

窃盗癖で責任能力が問題になることはほとんどない。服役を終えても、衝動を抑えられなければ、遠からず刑務所に舞い戻ることになる。

  

買い物に行くたびに店内において首を傾げたくなるような人を見かけます。口の開いた手提げ袋を片手にして商品を選んでいる人や、買い物籠の中に別の袋を入れている人がそうです。簡単に万引きできる状態を作って買い物をしています。その感覚が私はどうしても納得できません。

  

「李下に冠を正さず」といいます。どうして疑われるような状況を作るのでしょうか。万引きをする意思はなくてもそういう行為は万引きを警戒する側からしたら迷惑この上ありません。万引きは確固たる犯罪です。犯罪を許さないという姿勢がそういう人には欠如しているのではないかと、私は思います。

    

「店が万引きの被害で困ろうとも自分には関係がない」という「他人事」という意識がそこにあるのではないかとも思います。さらには万引きが犯罪であるという意識の欠如もあると思います。子供にそういう意識が欠如している面があるだけでなく、親であるのにその意識がないという人もいます。まさにこれは、教育が機能していないということを明確に物語っています。憂うばかりです。

   

万引きはダブル停学!『万引き防止ポスター』のセンスが秀逸過ぎると話題に

http://www.yukawanet.com/archives/4373611.html

  

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社会に貢献するということ 2   [教育]

非難されるべき身勝手な生き方

   

てめえは一生家族だけ愛してろ。排他主義者が。

http://blogs.yahoo.co.jp/kasuminnfree/37643493.html

結婚とは何か。僕は正直、一回や2回結婚した程度で偉そうに知った風なこという連中は大嫌いなんだけどまあ、それはそれとして僕の感想。

妻以外の人間が他人であるという感覚が強まった。これは誰しもそうなのかは知らんけど。現時点でこれは、っていう感想で一番強いのがこれ。子供ができるとしたら、さらにその排他的発想が強まるのかもしれないな。とも思う。

で、もしこの僕の感覚が一般化できればの話だけどやっぱり家庭のあるやつらってのは屑が多いと思う。やつらが社会を守るっていうことの大前提にあるのはぜってーこどもか妻か、夫だ。くそ野郎どもめ。

   

自分を守ることが何よりも優先するのはやむを得ないのではないのでしょうか。社会に貢献したくても体が不自由であればそれも思うようにはいきません。しかし、不自由な体であっても立派に社会に貢献している人はいます。

  

長年の夢が叶って小学校の教師になったばかりのSさんは、交通事故で下半身の自由を奪われ、車椅子に頼らざるを得なくなりました。教師としての夢も断念せざるを得なくなり、生きる気力も薄れていきました。しかし、かつての教え子から貰った手紙に「先生にしかできない役割があるから神様が助けてくれたんだね」とあったことから「自分にしかできない何かがあるのではないか」ということに気付いたといいます。そして、絵本作家として独立することになりました。

  

自分の次に守るのが家族となるのもやむを得ないのではないかと私は思います。ただ、自分だけとか自分たちだけという考え方が許されないのは当然だと思います。それは、身勝手というものです。そういう身勝手な人が少なくありません。人の幸せな生活を脅かす犯罪者はその典型です。

   

社会に貢献する人材を育成するためにも教育に求められる役割は大きいと思います。

   

生きる意味の常識のウソ その9  社会貢献のために生きる

http://meaning.main.jp/modules/pico/index.php?content_id=35

   

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教育について思う事 その1   [教育]

生育環境の大切さ

   

  

「言葉の大切さ」について調べている時に、このブログに辿り着きました。まったくその通りだと思います。親の責任が如何に重いかという事だと思います。

  

教育の大切さ 3 教育の崩壊がもたらす人格の破壊

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-28-4

   

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