検証 「いま、なぜ死刑廃止か」 3 [ブログ]
威嚇力に関する研究
>同じく凶悪犯罪の顕著なニューヨーク州には死刑はない。
テキサス州が死刑を存置していることに対して、ニューヨーク州は死刑を存置していない。その意味ではこの「同じく」は不適切だ。ここは、「その一方で」とするか、もしくは「しかし、テキサス州と同様に」とすべきだ。
>存置論者が抑止力の科学性に理不尽な疑問を投げかけるのは、自らの理論的根拠を否定されることの防御策そのものともいえる。
死刑に犯罪抑止力があるかどうかを科学的に証明しようとする努力が、これまでにも行われてきた。結論からいえば、死刑の存否と凶悪犯罪の増減には直接の因果関係はない。一般的にいっても、例えばアメリカのテキサス州は死刑存置州であるが、凶悪犯罪の発生率は他の州より高く、1992年に全米で処刑された31名のうちテキサス州で12名が処刑されている。同じく凶悪犯罪の顕著なニューヨーク州には死刑はない。
(中略)
たしかに近代以前の処罰体系においては、生命刑たる死刑は抑止力として抽象的な存在理由の存した時代もあったかも知れない。しかし、こんにちでは、もはや、死刑に該当し、処罰する犯罪自体が極度に限定されているのであって、その意味でも抑止力となり得る時代ではなくなっている。その動きのなかにあって、可能な限りの経験科学の努力によっても抑止力の重みが測定できない状況にあることを知っておく必要がある。
そして、いぜんとして死刑に抑止力があるとして死刑の存在理由をこれからも主張する者は、その者こそ、その科学的根拠を明確にする責任がある。ところが、これまでのところ、どちらかといえば、死刑に抑止力がないと主張するのは廃止論者であったように思われる。存置論者が抑止力の科学性に理不尽な疑問を投げかけるのは、自らの理論的根拠を否定されることの防御策そのものともいえる。死刑存置の理由に抑止力をあげるのであれば、その科学的根拠を明らかにする義務は当然に存置論者に課せられた課題である。ところが、これまでのところ、そのような研究や理論がない。そのこと自体すでに抑止力は存しないとする有力な根拠といえるようである。
「いま、なぜ死刑廃止か」 (菊田幸一・著 55~62ページ) より (中略)
たしかに近代以前の処罰体系においては、生命刑たる死刑は抑止力として抽象的な存在理由の存した時代もあったかも知れない。しかし、こんにちでは、もはや、死刑に該当し、処罰する犯罪自体が極度に限定されているのであって、その意味でも抑止力となり得る時代ではなくなっている。その動きのなかにあって、可能な限りの経験科学の努力によっても抑止力の重みが測定できない状況にあることを知っておく必要がある。
そして、いぜんとして死刑に抑止力があるとして死刑の存在理由をこれからも主張する者は、その者こそ、その科学的根拠を明確にする責任がある。ところが、これまでのところ、どちらかといえば、死刑に抑止力がないと主張するのは廃止論者であったように思われる。存置論者が抑止力の科学性に理不尽な疑問を投げかけるのは、自らの理論的根拠を否定されることの防御策そのものともいえる。死刑存置の理由に抑止力をあげるのであれば、その科学的根拠を明らかにする義務は当然に存置論者に課せられた課題である。ところが、これまでのところ、そのような研究や理論がない。そのこと自体すでに抑止力は存しないとする有力な根拠といえるようである。
>同じく凶悪犯罪の顕著なニューヨーク州には死刑はない。
テキサス州が死刑を存置していることに対して、ニューヨーク州は死刑を存置していない。その意味ではこの「同じく」は不適切だ。ここは、「その一方で」とするか、もしくは「しかし、テキサス州と同様に」とすべきだ。
>存置論者が抑止力の科学性に理不尽な疑問を投げかけるのは、自らの理論的根拠を否定されることの防御策そのものともいえる。
「抑止力の科学性に理不尽な疑問を投げかけ」ているのは廃止論者ではないか。科学的な根拠がないとして死刑に反対しているのではないのか。著者の言っていることはどうにもわかりづらい。
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2014-04-28 13:05
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