検証 「闇サイト殺人事件の遺言」   [ブログ]

死刑になることを望んで犯行に及んだ者であっても死刑執行はやむなし 

 自殺の手段として通り魔殺人事件を犯した者には、死刑が抑止力として効果がないのも事実である。しかし、危険な者はただちに排除しなければ、新たな被害者を出してしまうことになるだろう。社会正義防衛上の観点からも死刑は存在意義がある。
 死刑は現行のとおり、確定から六か月以内に執行すべきであり、死刑執行の権限を法務大臣から検事総長に委譲するよう進言したい。内閣が変わると法務大臣も変わり、司法に疎い者、死刑廃止賛成派議員などがその任に就くこともあり、死刑執行という厳粛な職務行為を放棄し、死刑制度の存在意義をないがしろにし、治安の危機を招いてしまうおそれがあるためである。
 また、同害応報感情の慰撫という観点からも、犯人の死刑執行には犯罪被害者遺族の立ち合いを実現させるべきだと思う。
「闇サイト殺人事件の遺言」 (河村龍一・著 107108ページ) より 
 
2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校で、一人の男によって8名の児童の生命が失われ、教員・児童15名が負傷した。この事件の張本人こそ、我が国の凶悪殺人事件史上に名を残す元死刑囚・宅間 守である。宅間は、自ら極刑を望み、死刑確定から1年という異例の速さで死刑は執行された。
 
死刑になることを承知の上で犯行に及ぶ者に対して死刑は意味がないという意見がある。それは、本人の希望を叶えるものだからというのがその理由である。確かに、一人では死ぬことができないために事件を起こして死刑になりたいという者には、死刑は抑止力にならないばかりでなく、死刑という制度があるがためにそういう事件を招いているともいえる。 
 
しかし、動機は何であれ、その結果責任として死刑という刑罰が科せられることはやむを得ない。事件を起こしてからどんなに反省したとしても、死刑がふさわしいとして判決が下った者が死刑に処せられるのは当然である。
 
また、同害応報感情の慰撫という観点からも、犯人の死刑執行には犯罪被害者遺族の立ち合を実現させるべきだと思う。
 
死刑執行に犯罪被害者遺族を立ち合わせることを著者は、その著書「真夜中の看守長 ルナーミッション」で描いている。フィクションではあるが、アメリカの一部の州ではそれが現実のものとして実行されている。我が国でも実現できないはずはない。
 

付属池田小事件裁判傍聴記 殺人鬼の素顔とは
http://homepage1.nifty.com/okonomigaki/200202/a2.html
 
 
癒されることのない被害者・遺族の無念
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-05-22-1
     
 
  
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