推敲の大切さ   [言葉・文章]

第三者の目で見ることで文章の間違いに気付く
 

「いろいろ紆余曲折があって、やっと原稿を書き上げた」「まあ、なんとかまとまった」。大多数の方はここで終わりにするのではないでしょうか。でも、プロの仕事では、まだ道半ばにも達していません。最初の「完成」は「下書き」に過ぎず、ここから本番の推敲が始まるのです。

  

推敲では、文法的におかしな文がないかを注意するのはもちろんですが、読者の立場に立って分かりづらい表現はないか、舌足らずの表現はないかをチェックし、書き直します。それとともに、言わずもがなの分かりきった事柄、重複する表現などを削ります。時には数行に渡って、テーマからそれたり、なくてもよい部分が見つかったりもします。こうして文章をスリム化することにより、簡潔で頭に入りやすい文章になっていくのです。

  

推敲は「他人の目」で見るのが効果的です。そのために必要なことは、原稿を一晩以上寝かせて、脳をエッセイから完全に引き離した状態にすることです。自分の書いた文章や内容に酔っている間は、誰でもまともな推敲ができませんから、「作品」として完成させるまでには時間がかかります

http://syumi101.net/bungei/essay.html より

読者の立場に立って分かりづらい表現はないか、舌足らずの表現はないかをチェック
言わずもがなの分かりきった事柄、重複する表現などを削ります
    
 「わかりにくい」文章に共通するのは、読み手の立場を無視した、書き手の独り善がりである。誰も経験したことがないほどの特異な経験をわかりやすく説明するのには、読み手が理解できるような表現を試みる必要がある。それをしないで書き手の思いだけで書いたものが読み手の理解を得るはずがない。 
 
面白いことを体験してそれを書いたとしても、面白がっているのは書き手だけで、読み手にとっては何ら面白くないというケースがある。これは、書き手
の独り善がり以外のなにものでもない。
    
自分の書いた文章や内容に酔っている間は、誰でもまともな推敲ができませんから、「作品」として完成させるまでには時間がかかります。
    
自分の書いたことに酔いしれているようなところが、樋口氏の文章にもある。果たして樋口氏は、著書の推敲にどれほどの時間を掛けているのか。執筆に忙しくて推敲に時間を掛けられないというのは理由にならない。
  

なぜ推敲か
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-10-24-2  
  
「文章表現の技法ー推敲の重要性について」
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-10-30-1 
 
  
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