匿名文化について再考   [ブログ]

いずれ匿名文化が世界を席巻?

 

ネットの本場米国でも4chanのような匿名のネットコミュニティが流行っているそうです。そしてその事実を、ほとんどの日本のネット業界のひとは知らない」といいます。⇒ 2011-07-24 ネットの匿名文化は日本だけのものか?

 

しかし、「アメリカでも、かつては偽名やハンドルネームを用いたブログ運営がされていたが、非常に多くのブロガーがいるため、いまや聴衆の信頼を得る唯一の方法は、バックグラウンドと経験を明らかにすることで信憑性を示すことだとされている。現実において誰であるかを明らかにしないでサイバースペースでの存在を維持するのは難しくなっている」という指摘もあります。⇒ 4.2.日本のブログの匿名性について

 

日本人は、「和を尊び、共同体の平和を保つための処世術として相手を傷つけないために」言いたいことを明確に言わずに遠回しの言い方をするようになったといいます。「空気を読む」ということが重んじられたために論理的に考えを主張する教育も軽んじられて来たともいいます。

 

日本人はまともな議論ができないといいます。言葉で明確に自分の考えを表明できないということは、グローバルな世界では鉄の塊の戦車に竹槍で対抗するのと変わりません。これでは日本人が欧米人に負けるのは当然です。

 

アメリカのブログは、政治やマスコミへの影響も強いといわれています。実名で意見を表明することでブログは、容易に社会に影響を与えられうるツールというわけです。日本でも実名で意見を発信している人はいます。やはりその発言には重みがあります。しかし、だからといって匿名が軽んじられていいことにはなりません。

 

2011-07-24 ネットの匿名文化は日本だけのものか?

 

日本で4chanの情報があまり知られていないのも2ちゃんねると似た事情からだろう。要するに米国でも4chanはネットのビジネスの世界とはとても遠い金にはならない場所だと思われているのだ。実際に運営資金難でこれまで何回もサービスの停止に見舞われたりしているところも2ちゃんねるそっくりだ。日本に入ってくる米国のネットの話とは要するにビジネスの話が中心だ。金にならない文化の話というのは意外に海をわたってこない。

 

だが、米国のネット社会では4chanの存在は大きく、mootはカリスマ的な人気を誇る大スターだ。今年どこかでやった彼の講演には数千人の観客が集まったいう。まさに米国版のひろゆきだ。

 

さて、では、日本でおこなわれているネットコミュニティの匿名、実名の議論とはいったいどう考えればいいのだろう。日本だけではなく、米国でも匿名のネットコミュニティが成功していることをどう考えればいいのだろう。

 

海外事情については、ぼくも正確な情報や肌感覚を持っていないので憶測するしかない。日本人の性格や文化から匿名コミュニティが好まれる理由を説明しているひともあり、それなりの説得力もあったりする。だが、日本のネットで匿名コミュニティが優勢となる最も根源的な理由は日本に大量のネット原住民が存在するからだ、というのがぼくの結論だ。

 

ネット原住民とはなにか?生活の中心をリアルな世界ではなくネットの世界に移したひとたちのことだ。いいかたを変えればリアルよりネットに自分の居場所があると思っているひとたちだ。その中にはリアルの世界には自分の居場所はないと感じているひとたちも多く含まれている。そういうひとたちがネットの世界で匿名で発言したり、実名ではなくハンドルネームで活動しているのだ。

 

ネット原住民はなにしろネットに住んでいるわけだからとてもアクティブだ。掲示板への発言だって、ひとりで一般人の100人分ぐらいは平気でできる。ネットは彼らの縄張りであり、ほとんどの”面白い”ネットコミュニティには彼らが棲みついてそこでの世論形成に大きな影響を与えているというのが日本のネットの大きな特徴だ。いや、日本だけではない世界でも同じはずなのだ。ネットコミュニティの世論形成にもっと影響力があるのはネット原住民なのだ。

 

日本の違いはおそらく世界で最もネット人口当たりのネット原住民が多いことだろう。日本はネット原住民の特産国なのだ。ネット原住民とはどういうひとたちがなれるのか?条件は簡単で、ネットにつなげてかつヒマがあることである。世界でもヒマなひとはたくさんいるが、日本以外ではたとえば無職でヒマなひとは、ネットにはつなげない場合が多いのではないかとぼくは思う。日本が誇る厚いニートの層はなぜかネットへはつながっている環境にあることが多い。もしくは別にニートでなく働いていても日本はヒマでネットにつなげられるひとが圧倒的に諸外国よりも多いのではないかとぼくは想像している。

 

そしてネットにつなげられるヒマなひとというのが増えていくのは長期的には世界的な傾向ではないかとぼくは思っている。つまり世界的に匿名のネット文化は影響力を増していく、日本はむしろネットの時代の先をいっているというのがぼくの予想だ。

 

では、日本でもようやくはじまったFacebookなどの実名SNSのブームはどう考えればいいのだろう。

 

これはリアルな世界に住みながら、ネットをツールとして使い始めたひとたちが増えたことだ。彼らはネットはツールにすぎないといったり、ネットもリアルの一部だと主張したりする。そういう新規のネットへの移住者が原住民のテリトリーを浸食しつつあり、摩擦が起こっているのがいまの日本のネットの数多くの炎上事件の真相ではないかと思うのだ。

 

ネットをツールとして利用するひとと、ネットを生活の場にするひとたち、どちらが最終的に優勢になるかは、いろいろなシナリオが考えられる。いまはネットの一般化により、ネットが万人のためのものになる過程で日本でも一時的に前者が優勢になる可能性がある。だが、なにか世界規模での破滅が起こらない限りは長期的には後者が世界的に増えていく流れになるのではないかとぼくは思う。世界が生産できる食料で養える人口よりも、世界が生み出せる雇用のほうが少ないだろうという個人的な予想がその根拠だ。

 

そしていわば社会の余剰の生産力が生み出したネット原住民から、世界を変えるなにかが生まれるのだと信じている。

 

http://d.hatena.ne.jp/kawango/20110724 より

 

匿名の記事に信頼性は無いのか?

http://essay.yastoro.com/archives/51000106.html

 

ネットにおける実名・匿名論争 2

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-2

 

4.2.日本のブログの匿名性について

http://www.d4.dion.ne.jp/~mkad/1f07/b42hamamatsu.html

 

                                      にほんブログ村 経営ブログ マネジメントへにほんブログ村 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。