なぜブログか 38   [ブログ]

生きた証としてのブログの効用

    
子供は次の世代を担う貴重な存在です。少子化が改まらない事には社会の発展は望めません。
 

私は子供がいません。そのために自分の生きた証を子供に引き継ぐことができません。子供にそれを引き継ぐことができれば、その人生で得たものを子供に伝えることができます。子供は次の世代を担う者として親の生き方から何かを学ぶはずです。
    

子供がいなくても社会的に広く知られた活動をしている人ならば、その生き方に共感する人がその人の生き方を何らかの形で引き継ぐことができます。しかし子供がいない無名な人は、その人生で得たものの多くはその人の人生限りとなってしまいます。
     

「ブログ道」の著者・久米信行氏は、個人が生き生きとした毎日を送るための活性化ツールがブログであるといいます。そしてそれは、現在進行の自叙伝だともいいます。
   

誰もがいつかはその人生に幕を下ろします。幕が下りてもブログという形でその生きた歩みを記録していれば、それはその後も多くの人の眼に触れることができます。ましてや子供がいる人ならば、その歩みを記録したブログは他の何ものにも代えられない形見となるはずです。
  

親が健在のときには読みもしなかったそのブログを、親の死後にはかけがえのない形見として読む子供もいるはずです。
 

ほしのきらめきさんは次のように言っています。
 

私にとってブログを書いたりウェブサイトを作ると言うことの意味

  
小さな子供の頃にぼんやりと覚えていた建物も、今はなくなっていることが多いです。
 
「確か、この辺りにあったのに・・・」


しかし、昔の思い出は幻のようなもので、もうどこにもそのかけらすら残っていないものです。
 

記憶に残らないものは、その物の消滅と共に記憶からも消え、記憶の奥底に残ったものも、次第に分からなくなり、その記憶を持つ人が消えると同時に人々の心の中からも消えて行ってしまいます。
  

これはとても悲しいことです。しかし、こういう現実が何万年、何十万年と人類の歴史の中で続いてきました。全ての思い出は、やがて死と共に消え去ってしまいます。 

    
何かを残したい。全部消え去ってしまうのは寂しい。私はよくそう言う思いに駆られます。どんな下らないことでも、つまらないことでも自分が生きた証をこの世に残しておきたい。私にとって、ブログを書いたり、ウェブサイトを作るというと言うことは、自分が唯一この世に残していく足跡だと思っています。

    
何万年も前に星から出た光が、今、私たちのもとに届くように、自分が書いたブログやウェブサイトが何年か先の人に読まれたらいいなと思います。星のようには行かず、きっとあまり何年も先まで残るようなことはないかもしれませんが、それでも書き残しておきたくて仕方がないのです。

2012817日(金曜日) 17:00

http://www.distantstarlight.com/3.htm より(抜粋)

   

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