死刑制度について   [情報]

人を殺したら厳罰は当然であり、その最たるものが死刑

 

何年経っても癒されることのない犯罪被害者の遺族にとって、時効という制度によって加害者があたかも犯罪事実がなかったかのように無罪放免されることはとても容認できないことであることは十分に予測できます。法律で罰することができないのなら自分の手で罰してやりたいと思う遺族がいてもおかしくありません。

 

「殺された者は再び生きて返ることはありません。しかし、この世に正義が存在するなら、犯人に対し被害者の生命の尊厳に替りうる鉄槌を与えて当然と考えます。そのようにならなければいつまでも殺人という犯罪は無くならないと確信します」と、殺人事件被害者遺族の会・「宙(そら)の会」は訴えています。

 

そしてさらに、「私たち遺族の犯人への憤りは増すことがあっても薄れることは決してありません」「このような殺人事件が一件でも少なくならないかという強い願いがあります。その根底には、殺害された者そして遺族となった私たちと、同じような無念の生涯を味わっていただきたくないという思いがあるからです」という思いから、時効制度の撤廃を求める活動をして来ました。

 

その活動が実って平成22年4月27日,公訴時効制度廃止法案が成立いたしました。これによって、人を殺した者は永久に捜査当局の捜査の対象から逃れることはできなくなりました。

 

しかし、犯人が逮捕されたとしても、その刑事罰が軽いものであったとしたら遺族としてはとてもやりきれるものではありません。加害者としての犯人にいかなる事情があったにしても、家族の命を奪われた遺族が死刑を求めるのは当然です。死刑反対論者のいう「命は区別なく尊い」という主張は、現実を無視した空虚な理想論と言わざるを得ません。

 

生命の尊厳

http://mayonaka-kansyutyou.blog.so-net.ne.jp/2012-04-14-1


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。