パソコン遠隔操作事件 9 [情報]
片山被告は、荒川の河川敷でスマホを埋めているのを捜査員に目撃されていた。誰にも見られていないことを確認して埋めたはずだが、片山被告は油断していた。どれほど深く穴を掘って埋めたか知らないが、まさにそれは「墓穴」と言えるものだった。
保釈された後、片山被告が何もせずに裁判に臨んでいれば無罪になったかもしれない。しかし、片山被告は己の「冤罪」を晴らそうと余計なことをした。冤罪を信じていた弁護団にとってはその行動は信じられないものだっただろう。
片山被告が自己顕示欲が強いことを考慮すれば、片山被告が今回のような行動を起こす可能性は予見できた。万が一のことを考えて、弁護士が片山被告に行動の自粛を促していれば今回のようなことにはならなかったのではないか。さぞかし弁護団にとっては、苦々しい思いでいっぱいだろう。
弁護団に隙があった一方で、捜査側には綿密な計算があった。片山被告が自分が犯人ではないという証拠を捏造することは充分に予見できたからこそ、その身辺を厳重に見張っていたのだろう。検察・警察の大勝利だ。
にほんブログ村
片山祐輔被告が墓穴掘りすぎ。メール自作自演発覚で検察に証拠提供、1000万没収、脅迫罪も追加! http://garoll.net/entry/107912
あなたのパソコンは,じつはだれかに乗っ取られて,知らない間に犯罪に加担しているかもしれない http://gihyo.jp/book/pickup/2013/0091
https://www.youtube.com/watch?v=YnHbHtSpEpg
パソコン遠隔操作事件 8 [情報]
パソコン遠隔操作事件で逮捕されて公判中であった片山祐輔被告(32歳)がついに「自分が真犯人」と認めた。逮捕されたのが去年2月10日。今年3月5日に保釈された後、22日に起訴された。
片山被告は、「自分は事件には一切関与していない。真犯人は他にいる」と身の潔白を主張していた。しかし、保釈後の片山被告の行動を監視していた捜査員が、「真犯人」からのメールが届いた前日に片山被告が荒川河川敷で何かを埋めるのを目撃していた。現場を調べたところ、スマホが埋められていた。これに「真犯人メール」の文面の発信記録があり、スマホの付着物が片山のDNAと一致した。
身柄が確保されているときに真犯人から何かのメッセージがあればそのことで容疑は晴れた。しかし、片山被告はそのことを保釈された後に自作自演して己の無実を証明しようとした。自己顕示性の強いことからそのことは予想できた。案の上、その通りになった。そして、墓穴を掘った。実に愚かと言わざるを得ない。
片山被告の弁護団はその無実を主張していた。しかし、今回の件でその面子は丸つぶれとなった。場合によっては新たな冤罪を生みかねなかった。それだけに、警察の粘り強い捜査により検察・警察の面子は保たれた。「疑わしきは被告人の利益に」というが、疑わしい限りは徹底した捜査が必要なのはいうまでもない。
パソコン遠隔操作・片山祐輔「起訴」できるのか?法廷でもうすら笑い
http://www.j-cast.com/tv/2013/02/27167117.html?p=all
弁護人が冤罪を主張するこれだけの理由―PC遠隔操作事件
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20130324-00024029
|
第二次安倍政権誕生1周年の総括 [情報]
公約を守ることは大切である。民主党は公約を実行できず国民の期待を裏切った。しかし、安倍首相は公約を実行した。様々な意見があるが公約を守ろうとする姿勢は評価に値する。死刑執行に積極的なのも評価できる。
以下、マダオさんのブログからの転載。
「安倍首相、靖国参拝へ」
フォロワーさん情報ありがとうございます。
情報によると12/25時点では各社こぞって「参拝見送り」報道していたとか。
押入補完計画遂行中でTVもネットも見て無かった;
そのとき、 日本人が震えた。
オサーン衝撃と感動で打ち震えて、黒苺アプリでツイしにくかったわ。
職場放棄すれば、ギリギリ駆けつけられるエリアだったけど
「確実に取り押さえられるからやめれ」「運が良くて職質だな」とか散々に言われた。
ショボボボボーーーーン(´・ω・`)
|
山本美香さん、戦場での死から一年 [情報]
山本美香さんが伝えたかったこと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130820-00010000-wordleaf-int&p=2 より
山本美香さん、志半ばの無念の帰国
刑務所と地域社会の関わり方 [情報]
刑務所の役割り
小野義秀氏は、その35年に及ぶ矯正業務の最後を東京矯正管区長として奉職されました。今、伊豆高原の地において自然の恵みの中でその余生を送っておられます。⇒ ブログ「伊豆高原シニア・ライフ日記」
小野氏が35年間に発表した論文や随筆をまとめたのが「矯正行政の理論と展開」です。そのあとがきには「今日においては既に解決されてしまったもの、事情が変わってその切実さを失ったもの、法改正の暁にはその意味を失うものなどがあり、今更改めてことごとしく出版するのはいかがかと思われ、出版に踏み切るには忸怩たる思いもあった」とあります。
小野氏が退職されたのが1990年(平成2年)。それから23年の歳月が流れました。確かに矯正を巡る環境は大きく変わりました。しかし、小野氏が問題提起したことは今なお生きています。矯正の過去を知ると同時に、将来の在り方を探るための貴重な記録といえます。
地域社会と刑務所
刑務所に関する報道機関の取材などに当たっても、拒否的ではないにしても臆病ともいえるほどに慎重です。こうして、刑務所は、自らを閉ざし地域社会の無関心や誤解に対し、積極的な手をうつことを怠ってきたとも言えます。
(中略)
全国における脱走事件は年間10数件であり、その数は世界的には驚異的な少なさなのですが、ともあれ、脱走によって地域社会は犯罪の脅威にさらされる訳ですからこれを機会に刑務所に対する反感や不信が高まったとしてもやむをえないことです。
しかし、刑務所の移転改築に対する地域住民の反対運動は本当に困ったことです。(中略)しかし、この反対は説得されねばなりません。刑務所は地域社会にとっても無くてはならないものであり、その存在は他ならぬ地域社会自身のためにあるのですから―。そして刑務所の中味が社会のゴミタメではなく、社会人に再教育し、再訓練するための学校であることを地域住民が知ってくれさえすれば、このような反対運動は起こらない筈だと思います。
刑務所は、決して恐ろしいところではなく、穢れたところでもなく、実は地域社会において仲間だった人達が、その失敗を二度と繰り返さないための努力をしている修養の場所でもあることを、地域社会のすべての人達に知って頂きたいと思います。そして、刑務所に対して、このようなコンセンサスが得られるならば、少なくとも犯罪を生み出す一つの芽は摘みとられたことになると思います。
(「犯罪と防犯」第29巻第7号・昭和51年7月)
「矯正行政の理論と展開」(小野義秀・著)より
ごみ処理施設は「迷惑施設」?
http://blog.livedoor.jp/odarieko/archives/4886728.html
震災がれき受け入れ 賛成と反対、それぞれの理由
http://www.data-max.co.jp/2012/03/22/post_16441_dm1718_1.html
全国戦没者追悼式 [情報]
天皇陛下のおことば
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往事をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
(2013.8.15)
「終戦の日」の憂い
http://ameblo.jp/aloha-spirits-yoshi/entry-11593148157.html
8月15日終戦記念日 AM
http://ameblo.jp/genseiryu-butokukai/entry-11593303267.html?frm_src=thumb_module
「記念日じゃない、終戦日」について
http://blog.goo.ne.jp/evangeline0026/e/8888156309a99ce3f6dada88c46034cb
終戦から68年 [情報]
繰り返してはならない戦争の惨禍
「戦争」は「資源の奪い合い」
今日は終戦記念日です。誰しもが戦争のことを思い出す日だと思いますが、ぜひ、機会があったら、ジャレド・ダイヤモンド氏の「文明崩壊」「銃・病原菌・鉄」などの、一連の著作を読んで、歴史から考察する文明や戦争の流れについて、考えていただきたいと思います。
昔はハードカバーだけだったのですが、いまは文庫本も、Kindle版もありますし、また、本を読むのが苦手な方には、ナショナル・ジオグラフィックが作ったDVDも市販されています。
戦争は、見返りがなければ、多大な資源投入を必要とするので、誰もしません。しかし、一定以上飢えがあったり、エネルギーの奪い合いがあったり、土地の奪い合いが生じるような場面になると、その戦争に勝つことしか生き残れなくなってくると、その「見返り」を求めて、戦争がおきてしまいます。
なぜ、食糧問題、エネルギー問題、自然破壊問題などの根絶が必要なのか、ぜひ、戦争防止という文脈から考える一助に、氏の本がなれば幸いです。
本日の終戦記念日、黙祷をみなさんと一緒に正午に捧げたいと思います。
勝間和代オフィシャルメールマガジン (2013.8.15) より
全国戦没者追悼式の開催
先の大戦の全戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるため、昭和57年4 月13日の閣議決定「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について」(別添)に基づき 、政府主催の下に、平成25年8月15日、日本武道館で全国戦没者追悼式を行います。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000014444.html より
戦争と平和を考え続ける覚悟を持とう
日本経済新聞社説
戦後68年と近隣外交 内向き思考を抜け出そう
朝日新聞社説
終戦の日 中韓の「反日」傾斜を憂える
読売新聞社説
8・15を考える 積み重ねた歴史の重さ
毎日新聞社説
終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った
産経新聞主張
1985年8月12日、御巣鷹山 [情報]
空の安全を祈って28年
520名の乗客・乗員が亡くなりました。働き盛りで会社の命運を握っていた人や家族連れの乗客など、その一人一人の人生がこの事故で失われました。それと同時に、関係する人たちの人生も大きく狂いました。年老いてから慰霊のために登山することになろうとは誰が思ったことでしょうか。
4名が奇跡的に救助されました。しかし、機体の破損で迷走を続けていた数十分間、どんなに怖かったことかと思います。死を覚悟したとしてもおかしくありません。
「両親をたのむ。しっかり生きろ。立派になれ」「こんなことになるとは残念だ。さよなら。子供達のことをたのむ」というメッセージをメモとして残した乗客もいます。文字の乱れは機体の揺れが如何にすごかったかを物語っていました。
操縦士は、懸命に操縦が不能になった機体の立て直しを図っていました。ボイスレコーダーに残されたその音声を聞くと、乗客の安全を守ろうとする悲痛な叫びが聞こえます。
あらためて520名の御霊に頭を垂れると同時に、「空の安全」を祈らざるを得ません。
合 掌 | |||
| |||
御巣鷹の尾根、昇魂之碑 |
原爆投下から68年 その2 [情報]
広島に続く長崎の悲劇
忘れてはいけない大事な事
|
原爆投下の日時 |
死亡者数 |
昭和20年8月6日 午前 8時15分 |
当時の広島市の人口(推定35万人)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡(推定) | |
昭和20年8月9日 午前11時 2分 |
当時の長崎市の人口(推定24万人)のうち約14万9千人が死亡 |
Wikipedia より
広島・長崎 平和への誓い
http://www.cosmos-parole.jp/topics/heiwa_eno_chikai.htm
【忘れてはならぬ、「絶対悪の核」~ヒロシマ被爆から68年。】
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62437787.html
1945年 夏 8月9日 午前11時2分
http://blogs.yahoo.co.jp/bhshk652/15522510.html
語り継ぐ責任がわたしたちにはある!~ヒロシマ・ナガサキ、大震災~
http://blog.goo.ne.jp/butyoublog/e/de0250b3931acd31a5f9414802908370
原爆投下から68年 [情報]
悲劇をくりかえさないために
今日、広島は68回目のその時を迎えました。一瞬にして大勢の市民が亡くなりました。今なおその後遺症に苦しんでいる人も少なくありません。
8月は、私たちが忘れてはならない大きな出来事が数多くあります。亡くなられた大勢の方の冥福を祈ると共に、同じ悲劇を繰り返さないためにどうすべきかを考え実践したいと思います。
8月6日 広島に原爆投下 1945年
8月9日 長崎に原爆投下 1945年
8月12日 日航機墜落、単独機の航空事故として世界最悪(死者数520人、生存者4人) 1985年
8月15日 戦争終結 1945年
広島平和都市記念碑
(原爆死没者慰霊碑)
昭和27年8月6日設立 |
戦争がもたらした悲劇は繰り返されてはならない
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20080707.html
【原爆の日】記憶を世代につなぐ夏に (2013年08月06日08時38分)
人類による最大の愚行である原爆投下がどんな悲劇をもたらし、被爆者を苦しめ続けてきたか。しっかりと記憶し、若い世代につないでいく。あらためて誓いたい。