検証 「いま、なぜ死刑廃止か」 2   [ブログ]

死刑の犯罪抑止力

  

 もし抑止力があるというのであれば、刑務所に一度でも入った者は、死刑のことをよく知っているのであるから二度と犯罪を犯さないはずである。イギリスでスリが死刑に処せられていた当時、絞首台をとりまく群衆のなかで仲間のスリが仕事をしていたという話は有名である。またイギリスの統計によるとブリストル監獄で死刑に処せられた167人のうち、164人までが前に少なくとも一度は死刑執行の場面をみたことがある者たちであった。 

 東京拘置所で医務官としての実務経験から多くの死刑囚と接触した作家の加賀乙彦氏は「私は145名の殺人犯について、犯行前あるいは犯行中に自分の殺人が死刑になると考えたかどうかを質問してみた。犯罪前に死刑を念頭に浮かべたものは一人もいなかった」と述べ、さらに犯行中に4名が死刑のことを思った、殺人行為による興奮がさめたあとでは29名が自分の犯行が死刑になると思った、つまり死刑には威嚇力はなく、逃走を助長しただけであったと述べている(加賀乙彦『死刑囚の記録』232頁)。 

 死刑の恐怖は犯罪傾向のある者に対する犯罪を思いとどませる力をもっていない。『死刑囚二四五五号』の出版で著名であったカリフォルニアのキャロル・チェスマン死刑囚は「わたしの独房の前を通ってガス室へ引かれていった50人近い死刑囚のだれもが、自分の罪がどんな結果をもたらすかを予め考えてやったといった者はいなかった。相手に抵抗されて狼狽して逃げたい一心でピストルを撃っている。社会に反抗すると、冗談ごとではすまされないことをかれらが学んだときは、すでに遅かった」(前掲書260頁)。これが死刑の存在と死刑に該当する凶悪犯罪を犯す者の心理状態なのであろう。

 むしろ死刑の存在が犯罪を誘発する。犯罪学者はこれを「拡大自殺」とよんでいる。世間に反発し、自分だけでは解決できず、自殺もできない者が人を殺すことによって死刑を願望する。死刑の存在がつぎの殺人を誘発している。戦後の大量殺人者として知られている小平義雄、栗田源蔵、大久保清などは、むしろ死刑があるため、連続殺人を犯したことがはっきりしている。一人を殺すよりも複数を殺した方が裁判に時間がかかり、得をするのだ。

「いま、なぜ死刑廃止か」 (菊田幸一・著 53~54ページ) より
 

もし抑止力があるというのであれば、刑務所に一度でも入った者は、死刑のことをよく知っているのであるから二度と犯罪を犯さないはずである。
   
刑務所に一度でも入ると「死刑のことをよく知っている」と、どうして言えるのか。いろいろな刑務所がある。僅か数ヶ月という獄中生活では死刑について知る機会がないケースもあるはず。極めて説得力に欠ける。 

わたしの独房の前を通ってガス室へ引かれていった50人近い死刑囚のだれもが、自分の罪がどんな結果をもたらすかを予め考えてやったといった者はいなかった 

「死刑囚のだれもが」と書くのであれば、ここは「考えてはいなかった」とすべきだ。しかし、どうして「だれもが」と断定できるのか。死刑囚の全員と話をしたというのか。死刑囚が自由に語り合える集会でもあるのか。その言っていることは極めて疑わしい。

これが死刑の存在死刑に該当する凶悪犯罪を犯す者の心理状態なのであろう。 
 
この「死刑の存在」は何と並列するのか。さらにそれは、どの言葉にかかるのか。「これが犯罪者の心理なのであろう」と言いたいのなら「死刑の存在」は意味がない。蛇足だ。


一人を殺すよりも複数を殺した方が裁判に時間がかかり、をするのだ。 

得をする」というのも理解に苦しむ。同じ死刑になるにしても裁判に時間が掛かる分だけ長生きできるという意味で得だというのか。どうもよくわからない。
 

 
  
  
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