事実関係に争いがなければ死刑はやむなし   [死刑廃止論]

冤罪はどんな事件であってもあってはならない 

 

先月20日、無差別殺人を意図した地下鉄サリン事件から19年が経った。「無関心になることが一番怖い。同じことを繰り返さないために、事件のことを語っていきたい」と、被害者の遺族が語っている。まったくその通りだ。事件に遭遇したのは運が悪かったで済ませてはならない。誰でも被害者になり得る。決して他人事ではない。

 

27日には、静岡地裁が袴田事件の再審開始を決定。この事件は捜査機関の証拠捏造の疑いが強い。裁判所はそのことを認めて、袴田巌さんは逮捕から48年ぶりに釈放された。しかし、検察は即時抗告した。

 

冤罪があってはならないのは言うまでもない。それは、罪の大きさに関係ない。痴漢事件であっても冤罪で起訴されたら大きな社会的不利益を被る。しかし、冤罪の疑いがない事件については死刑判決はあって当然だ。

 

死刑制度もうひとつの“不思議”

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080618

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