著者が心掛けるべきことは、読み手に負担を掛けないこと [言葉・文章]
間違った記述のために解釈を巡って大混乱
ハイブロー武蔵氏は、「いますぐ本を書こう!」でエッセイを書くときの文体について木村 治美氏の「エッセイを書きたいあなたに」を引用していた。
“(木村氏は、)女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという” と、ハイブロー武蔵氏は前置きした上で、次のように言う(書いている。95ページ)。
これは、木村氏が「である体」を提唱することの根拠を説明したものである。すなわち、「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が、「です・ます体」によって増幅されないということがその理由だという。
「です・ます体」によって増幅されないということは、「である体」では増幅されるということになる。増幅された方がいいので「である体」を提唱するという訳である。
しかし、「ただでさえ」という言い方をしていることを考えると、「である体」では増幅された方がいいという解釈は疑問が生じる。「ただでさえ」増幅している女性独特のトーンを抑制する必要があるために、増幅されない「である体」を提唱していると解釈すべきだ。
ハイブロー武蔵氏が引用した部分は、木村氏の「エッセイを書きたいあなたに」では、「増幅されかねない」とある。「増幅されかねない」とは、増幅される場合もあるということである。そういうことにならないようにするために木村氏は、「である体」を提唱している訳である。
ハイブロー武蔵氏は、“「です・ます体」によって増幅されかねない”と表記すべきところを“「です・ます体」によって増幅されない”と表記した。そのことが解釈の混乱を招いた。ちょっとした表記の間違いだが、この違いの持つ意味は大きい。
さらに、ハイブロー武蔵氏のその文章がわかりづらいのは、「から」という言葉の重複にある。「・・・からだ」と表記すればいいのに、「・・・からという理由からだ」と表記している。その文章感覚は極めておかしい。
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1483099304
本のことをいろいろ考えている人らしいからそれなりに期待してよんでみた。たしかに、熱い思いは伝わってくるし、各章でいろんな有用な提言はしていた。だがその提言をディフェンスするような考察が欠如しており、議論に深まりがないのは(資質的とまではいわないが)致命的欠陥に感じられた。引用はたくさんでてくるが、それらはひとつの意識で統合されることもなく、まるで展示会のように互いに関連なく並んでいる。「本を書こう」という本自身がこの空疎さではまずいだろうと私なんかは思う。実用書であるが、議論の薄さのほうが気になった。
by 本を書かないでおこう (2014-03-25 21:09)