〇〇さんへの提言 2 [ブログ]
私たちの日常生活では「書く」場面よりも「話す」場面の方がかなりの割合を占めます。「話す」ことは特別な訓練をしなくても自然と身に付きますが、「書く」ことはそれなりの訓練が必要です。そのため、「書く」ことを苦手とする人は少なくありません。
その場限りの雑談であってもストレスの発散という点では意味があります。しかし、その場限りの雑談で終わらせるのは非常にもったいないものがあります。それは、他の人とは違うその人独特の経験で学んだことです。同じことを別の機会に(別の人に)話すとしても聞き手の数は限られます。
これに対してブログは、限りない数の読者が存在します。時間と空間という壁を越えて数多くの人に思いを伝えることができます。読者は、自分の関心のある記事を自分の都合に合わせて読むことができます。読んで共感する記事は何度でも読み返すことができます。コメント欄のある記事については読んだ感想を書き込み書き手に伝えることもできます。まさに読み手と書き手が繋がることができるのがブログの大きな特徴です。
現在84歳の小野義秀氏は、35年の公務員生活の後に「書くことによって頭脳の衰えをすこしでも遅らせる唯一の手段」としてブログを活用しています。「伊豆高原シニア・ライフ日記」がそのブログですが、そこには自然の恵みを享受しながら送る第二の人生の日々が綴られています。
ブログは「個人が生き生きとした毎日を送るための活性化ツール」だと、「ブログ道」で著者の久米信行氏は言っています。これに対して小野氏もまったく同感(「我が意を得たり」)と言っています。
「書く」という行為は自分と向き合う行為です。書き上げたものを読み返すことで自分を客観視することができます。ここに「書く」ことの大きな意義があります。「話す」という行為は、録音したものを聴き直さない限り話したことを検証することはできませんが、書いたものは容易に検証できます。 それは書いたものが記録として残るからです。
書いたものをブログという形で公開するということは、貴重な個人の体験を多くの人が共有できるということです。人は誰でもいつかはその生涯を閉じます。だからこそ、その貴重な体験を記録として残すことには大きな意味があります。
どうですか。〇〇さんも自分の体験をブログという形で公開してみませんか。
「記録すること」の重要性
http://d.hatena.ne.jp/choiyaki/20110722/1311283358
http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/e/e648f26566e1cb17932d8dcc40b34568
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