私的文章講座 7   [言葉・文章]

伝えたい事は言葉によって伝わる

 

奈良裕明氏は、その著書 「1週間でマスター 小説を書くための基礎メソッド 小説メソッド<初級編」 で次のように言っています。

 

書き手の頭にあるイメージは、文字という「情報」にならなければ、読み手へ伝わりません。たとえば「花」と書いたとする。もちろん書き手には、確固たるひとつのイメージがあるでしょう。けれど、ただ「花」とだけ書かれたのでは、読み手の頭に浮かぶイメージは百人で百通り。書き手が抱くイメージとは、まるでかけ離れたものになってしまう。「どんな花」なのかを書いてあげてこそ、初めて書き手のイメージは、読み手へ伝わるのです。

 

まったくその通りです。書き手が抱いたイメージを言葉で如何にして表現するかという事が書き手に求められます。曖昧な表現では書き手が抱いたイメージは読み手には伝わりません。場合によっては、書き手が抱いたイメージとは程遠いイメージを読み手が抱くということもあり得ます。こういう事になっては、何のために書くのかという疑問が生じます。

 

戦争の悲惨さを訴える小説であるのに、それが戦争を称賛するようなものとして理解されたとしたら著者の思惑は外れたことになります。こういうようなことになるのは、読み手の理解力にもよりますが、著者の文章表現力にも原因があります。

 

人生逆戻りツアー泉ウタマロ・著)で著者は、主人公があの世で出逢った守護天使の1人を 「快活な青年を思わせる雰囲気であった。まじめな性格らしかったと表現しています(10ページ)。しかし、この「快活な青年」と「まじめな性格」という表現は、極めて表現力不足としか言えません。この表現で「なるほど」と納得する読者がいるのかと疑問に思えてなりません。

 

著者としては、「読者のみなさんがそれぞれに勝手にイメージしてください」と言いたいのかもしれません。しかし、情報が不足した状況では十分にイメージすることはできません。読者にそれを要求することは著者としての義務を放棄しているといえます。これでは、プロの作家としての資質が問われてもやむを得ないでしょう。

 

このブログにも訳のわからないコメントが時々あります。コメントの主は、文章力にかなりの自信があるらしいのですが、その言っていることには極めて独善的です。改行がないその文章は読みにくいことこの上ありません。

 

「人のふり見て我がふり直せ」といいます。反面教師としての利用できるものは大いに利用したいと思います。

 

作家に限らずネットでの文章の書き手としてもこれが最低条件です

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n83299?fr=rcmd_chie_detail

 

面白いコメント

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-09-21-3

 

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