西水美恵子氏の認識不足を問う   [ブログ]

匿名での発言が実名での発言より劣るとは限らない

 

西水美恵子氏は、匿名での発言は尊重するに値しないというようなことを言っています。つまり、匿名で発言するという事は、その発言に責任を持っていないということの証であるために聴くに値しないという訳です。「どんな批判でも受けて立つというのなら堂々と実名で発言すべき」と言っている訳です。

 

インターネット上には、意味のない、無責任と言わざるを得ない情報や発言が溢れています。内田 樹氏は、その著書『街場の読書論』で、「ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように思える。攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている」と言っています。匿名だからこそ、非論理的であったり暴力的な口調であったりするのも無理はありません。しかし、匿名の発言がすべて無責任であるわけではありません。

   

匿名だからこそ様々なしがらみを取り払って思う事を包み隠さず言えたりもします。それは匿名であることの大きなメリットです。「誰が」言ったかということよりも、「何を」言ったかということに重きを置くならば、実名である必要はありません。取るに足りない発言は切り捨てればいいのです。

 

西水氏のfacebookに私のブログが取り上げられましたが、同時にほしのきらめきさんのブログも取り上げられました。そのほしのきらめきさんも西水氏の考え方を批判しています。

 

以下、ほしのきらめきさんのブログからの転載です。西水氏の認識不足を実に見事に指摘しています。

 

 

どうやら西水美恵子氏は、ブログ・Twitter=匿名 と言う図式をお持ちのようです。ここから、西水美恵子氏の心の中には・・・ ブログ・Twitter=匿名=無責任 と言う考えがあって、匿名文化が大嫌いと言っているのではないかと推察されます。

 

あながち適当な当てずっぽうによる推測でもないのではないでしょうか。しかし、これはあまりにも不見識に思えるので、引っかかったのです。もっとも、恐らくインターネットをあまり知らない人の中には、西水美恵子氏の様な考えの方が少なくないのではないかと思います。

 

その原因を推測すると、恐らくこういう人たちは・・・ インターネット=某匿名掲示板 ・・・と言う連想を持っているからではないかと思います。恐らく不見識の根源はこの辺でしょう。わざわざ指摘するまでもありませんが、某匿名掲示板とは、某西村氏のやっている某匿名掲示板を指すのではないかと勝手に思いこむのは、自分勝手な正しい憶測に過ぎません(笑)。

 

引っかかるのは、インターネットで活動している人のほぼ全員が、これと同列に置かれたことですね。そもそも、某匿名掲示板の利用者がどういう人なのかは別にしても、これは町の中を歩いている人全員を指さして、泥棒とかちんぴらとか暴力団と言っているのと同じぐらい不見識なことだと思うのですが、いかがでしょうか?もっとも、これはお金持ちによくある発想です。

 

インターネットには様々な場所があり、それぞれ性格が異なります。そこに出入りする人も、それにより様々です。十把一絡げに「匿名文化だ。大嫌い。」というのは、どうかと思います。

 

西水美恵子氏は、恐らく、インターネット上の場所の区別がつかない人なのではないかと思います。現実世界では「これは民家、これは大きな会社のビル、これは個人商店の店舗・・・」と言う区別がついても、インターネットに無知なため、インターネット上の様々なサイトの区別がついていないのだと思います。場所の持つ意味、場所の違いの話です。

 

Twitterとブログでは大きく違います。また、通常のウェブサイトも全く違います。そのウェブサイトも無料スペースを借りているものもあれば、自分でお金を払って借りたサーバーに自分で取得したドメインを使って運営している人もいます。すべて意味合いが違います。インターネットを本当に正しく理解するには、その違いの意味がわからないとだめだと思います。

 

一口にブログと言っても、ただ単に借りてそのまま運営しているのと、いろいろ工夫して運営しているのとでは違うのです。同じカレーでも、お湯に3分入れて煮るだけのレトルトのカレーと2時間かけて作るカレーとでは違うようなものです。この違いにどれだけの時間とエネルギーがかかっているのか分かったら合格です。

 

もし西水美恵子氏にそう言う側面まで理解ができていれば、十把一絡げに「匿名文化だ、大嫌いだ」などと簡単には言えないと思いますが、どうでしょうか?恐らくインターネット利用者の大半の人は、似たようなものなので、西水美恵子氏だけがどうのこうのということではないのですが、そう言う側面を見ることができないようでは、真にインターネットを理解しているとは到底言い難いのではないかと思います。

 

これだけ時間とエネルギーを投入して作っているブログを「匿名で無責任なことを書いている」などと思われているとしたら、運営者の心に引っかかっても不思議はないということが理解していただければ幸いです。

 

個人的な話になりますが、私は、匿名だからと言って、自分の書いたことに責任を持たなかったことは一度もありません。匿名で書くのか、実名で書くのかは、その人の置かれている環境により決まる面も大きいのです。だから、誰かが匿名で文章を書いたからと言って、その人の置かれている環境を知らない以上、その事実だけを根拠にその人を責めることはできません。

 

そもそも現実世界では、全部実名かというとそうではないでしょう。例えば、小説家はペンネームを使うのが普通ですし、芸能人も芸名を使うのが普通です。しかし、だからといって、無責任というわけでもないでしょう。一方、匿名の電話や投書などというものもあります。

 

インターネットでもハンドルネームを使用するのと、完全に匿名というのは同じではありません。ハンドルネームというのは、現実社会のペンネームや芸名と同じです。インターネットの世界がどの様な経緯を経て現在の様な名前の使い方(実名、ハンドルネーム、完全な匿名の使用)になったのか西水美恵子氏は知らないではないかと思います。ハンドルネームなら見下してよくて、実名だから頭が上がらないと言うことはないのです。

 

思うに、実名を使わずに、匿名で書くと、自分の本当の実力がわかっていいかもしれません。実名で書いている人の多くは、肩書きで客寄せをしている様な場合が多いです。肩書きがなくなったら、自分の実力だけでどこまでやれるのかやってみたらいいでしょう。

 

いずれにせよ、日本でもすでに20年ほどの歴史を経て、現在のインターネット文化があるのです。西水美恵子氏は、短絡的に「実名は立派、匿名文化は大嫌い」などと考えるべきではなかったのではないかと思います。 

 

インターネットについて無知な西水美恵子氏/西水美恵子氏のFacebook記事を読んで

http://distantstarlight.blog18.fc2.com/blog-entry-980.html 

 

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