keyさんの主張 12   [死刑廃止論]

遺族の身になって考えることなどできるはずがない

    

死刑のない社会へ~日比谷公会堂大集会に死刑反対派として参加する

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62372315.html 

死刑は絶対に必要だという弁護士さんもいます。岡村 勲さんです。被害者遺族の身になって初めて遺族の置かれた厳しい状況がわかったといいます。keyさんはそのことをどう思うのですか。「絶対に」といういい方は不適切ではないでしょうか。その思いの強さを言いたいのはわかりますが・・・

2012/9/10() 午後 10:56 [ ke*200* ]

どう思うか。私は犯罪被害者の経験がありません。だからこそ死刑を求める犯罪被害者と同じ立場になったつもりでぜひ極刑を、などといいたくないのです。同じ立場などになれるはずがない。私が犯罪被害者の遺族となったとしても、他の遺族の人と同じになることなどもないのです。一言で犯罪被害者といっても色々な人がいるはず。全員が全員死刑を求めるはずだ、と決め付けるとすれば、それは遺族の人たちへの冒涜になると私は考えますので、そのような態度(決め付けること)を私は決してとりません。

「絶対にという言い方は不適切」と書いておられるのは安田さんの発言についてでしたら、私は不適切とは思わないですね。不適切かどうかは人によって判断する基準が異なるので、そちらが不適切と考えても他の人はそう考えないことがある。その点が理解されない限り、この議論は平行線のままでしょう。ちなみにそちらはお名前はなんとおっしゃるのですか?今度直接お目にかかってお話しませんか?文章だけでは理解しあうのは不可能と思われます。

2012/9/11() 午前 6:12 [ KEY ]

>一言で犯罪被害者といっても色々な人がいるはず。

確かにその通りです。私もそのことは何ら否定しません。そのことは被害者についても当てはまります。

>全員が全員死刑を求めるはずだ、と決め付けるとすれば、それは遺族の人たちへの冒涜になると私は考えます。

いろいろな加害者ガいると同様に、被害者にもいろいろな人がいると思います。どこにも例外(特異なケース)はあるはずです。そういう発想(独断的な発想)で死刑に賛成する人を批判するのは、とてもフェアではないのではないでしょうか。

死刑賛成と叫ぶ人の中には確かにそういう人(遺族は死刑を求めるものだと決めつけている人)もいるかもしれません。しかし、そういう人が一部にいるからと言って、それがすべて(全体)だと言うことは「誤った一般化」というものです。

   

>不適切かどうかは人によって判断する基準が異なるので、そちらが不適切と考えても他の人はそう考えないことがある。その点が理解されない限り、この議論は平行線のままでしょう。

   

人によって考え方が異なることは当然です。あえて理解するも理解しないもないのに、「理解されない限り」とは何という言い方かと思います。そして、それを根拠に「この議論は平行線のまま」とは何という短絡的な結論かと思います。

    

積極的な議論に挑む姿勢がそこには見えません。何とか理由をつけて議論を避けているとしか、私には思えません。私はそこに、自分の考えの方がレベルが高いかのような傲慢な姿勢を見てしまいます。実りある議論のためには、もっと謙虚に相手の意見を受け入れる必要があるのではないのでしょうか。

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