「書く」ことの効用 [言葉・文章]
解釈に戸惑う村上春樹氏の作品
村上春樹氏の『回転木馬のデッド・ヒート』に「書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない」とあるそうです。読んでいないので伝聞の形で書くしかないのですが、その言っていることに疑問を覚えます。
「書く」ことには、考えを整理して明確なものにするという効用があります。それを村上氏は「書くこと自体には」云々と言っている訳です。問題は「自体」にあるという事かと思います。果たして、「書くこと自体」とはどういう事なのでしょうか。「書くこと」を強調したのが「書くこと自体」という事なのでしょうか。別の言い方をすれば、「効用がある」のは何だろうという疑問も生じます。
さらに、それに続く「付随する救いもない」というくだりも訳がわかりません。これは、読み手が勝手に解釈すればいいという事なのでしょうか。そうだとしても私は、どう解釈していいのか、さっぱりわかりません。
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『回転木馬のデッド・ヒート』(村上春樹)
カスタマーレビューより
また、描かれている人々に読者が共感しやすい何かを持っているため、読者の個人的な経験を登場人物に投影しやすい、つまり想像が描き立てられやすいようになっていると思います。
Q&Aサイトに質問してみました。的確な回答を貰いました。全文を読めばわかるという指摘でした。さっそく読んでみようと思います。
(回答)
「回転木馬のデッド・ヒート」の序文をきちんと全て読めばわかることですが、ここで言われている"書くこと"というのは、"文章による自己表現"のことです。"効用"というのは、"精神の解放への寄与"のことです。同じ言葉を何度も繰り返すと冗長で不恰好な文になってしまうため、前部の表現を引き継いだ簡潔な言葉として"書くこと"や"効用"という表現になっているのです。文脈を無視して一部分だけに注目するから、誤読してしまうのでしょう。
とにかく、そこまでその一文の表現が気になるのでしたら一度しっかり全文読んでみてはどうですか。
by クレーマー&クレーマー (2012-10-25 09:55)