keyさんの基本的見解 その11   [死刑廃止論]

「遺族感情」「応報感情」などの感情論を交えて振りかざすのは、傾聴するに値しない

   

日本の死刑制度の現状に対する提言~廃止か存置かはともかく、まず改善を

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62425252.html 

私は感情論のすべてを否定はしません。人間から感情を排除できないのは当然のことです。そのくらい私のような脳みその持ち主でさえ理解している。

しかし、犯罪被害者の遺族や関係者は別として、そうでない人たちが感情論で死刑賛成の意見を、それも「遺族感情」「応報感情」などの感情論を交えて振りかざすのであれば、私はその人々を軽蔑し、そして傾聴するに値しない唾棄すべきものとして考えます。そのような人たちは、自分たちの憂さ晴らしを、被害者の人々の感情を利用し、搾取し、横取りしているにすぎない。

感情論は相互理解、意見の融和を遠ざけます。それは死刑においては、廃止論、存置論のどちらでも同じことです。

感情を振りかざす人とは、短期的には理解しあえません。

1.死刑囚の待遇改善

死刑判決が確定すると、執行までのいわゆる未決囚には、外部からの接触が著しく制限されます。これは「死刑囚の心情を慮ったもの」とされていますが、そんな配慮は人間の気持などを念頭に置いていない官僚幹部などが勝手に決めず、死刑囚の人々が選択すればよいことであり、接見制限などを大幅に緩和すべきだ。管理を徹底するためにそのような規制が厳しくなっているとすれば、それは行過ぎた懲罰思想と官僚たちの利便性のためだけに基づくものだと私は考えています。

2.死刑執行の情報公開をすすめる

昨今では、処刑当日の朝にいきなり死刑囚の房に係官がやってきて、数時間のうちに執行されることを告げていきなり刑場に連行するそうです。そして執行後に法務大臣が発表する。

なぜ正々堂々と執行しないのか。死刑制度があるのなら、堂々とコソコソせずに執行すればよい。少なくとも執行するなら、事前に囚人はもちろん、家族や関係者に事前通告し、そして犯罪遺族の関係者も含めて通知すべきです。もし国家がうしろめたいことをしていないのであれば、そのくらいの変更はできるはずです。結果的にコソコソ執行しているのなら、そんな後ろめたいのならとっとと廃止すべきなのです。

3.処刑の立会いを認める

「2.」でのコソコソやるな、という点に関連しますが、現在隠密に行われている、つまりコソコソと行われている処刑を、犯罪被害者、司法関係者、報道関係者なども含め立会いを認めるべきだ。もし死刑制度が、応報感情を理由として残されているのだとすれば犯罪遺族が立ち会えないことは矛盾している。そして国民の税金を源泉として囚人の管理から処刑までが賄われているのだとすれば、報道関係者によって間接的であっても私たちにその様子が伝えられないのなら、情報公開義務という観点からもおかしい。繰り返しますが、国家の制度として恥ずべきものでないのなら、正々堂々とたとえ人数制限付であったとしても、公開すべきなのです。

4.法務大臣、裁判官、検察官が処刑を実行する

日本の処刑方法は絞首刑に限られていますが、処刑台に囚人を立たせ、(歩行が困難な人には、刑務官が無理やり車椅子から立たせてロープを首にくくりつけるそうですが)、拘置所の刑務官が3人でそれぞれのレバーを引き、足元の板が開放され、ドスンと死刑囚が落ちて吊るされるそうです。

3人で引く、というのは刑務官の心理負担を軽減するためだそうですが、そんなことがわかっている、つまりいやな仕事だとわかっているならば、法務大臣自らがレバーをひけばよい。一人じゃ負担が大きいというのなら、死刑判決を下した裁判官、そして死刑求刑をした検察官が共同で行うべきだ。いやな仕事なら率先して引き受けるのが上司の役目です。それが出来ないで、結果的にいやな仕事をおしつけているのだとすればその人間には威厳も誇りも丸っきり備わっていないのと私は考えます。

私はこの4つが実現できないようであれば、わが国の死刑制度は正々堂々と行うことのできない、何らかのタブー意識を抱えたままに漫然と行われている制度疲労を起こした行為であるとみなさざるを得ません。

そしてそのような制度を変える勇気を持たない人々のために、死刑囚や拘置所の職員や、さらには犯罪被害者の遺族の人々までが、きちんと対応されていないのであれば、それを放置してきた公僕どもの怠慢かつ敬意を欠いた態度だとみなしています。

    

私は死刑制度を容認しています。自分の欲望のために人の命を何とも思わない凶悪非道な者がいる限り死刑は必要だと思っています。

   

私の身内で殺人事件の被害者になった者はいません。私自身もそういう事件には遭遇していません。被害者の身内になって苦しみ悲しんだ経験はありません。しかし、その苦しみや悲しみは十分に理解できます。これは、戦争を経験していなくてもその悲惨さを知ることができるのと相通じます。

   

keyさんは、経験したこともないのにそう言うのは傲慢だといいます。しかし、私はそういう姿勢こそ傲慢ではないかと思います。人の悲しみを理解できない人が己の怒りを表明することはそれこそ不遜なことではないのでしょうか。

   

私は、keyさんの主張のすべてを否定しているわけではありません。keyさんが指摘しているように、現行の死刑執行の手続きには納得していません。一部改善はされましたが、もっと改められるべきだと思います。

   

死刑執行に関わる現職刑務官がその職務執行をどう思っているのか、私は大いに関心があるのですが、現在の密行主義の中ではそれを知ることはできません。死刑制度にやましいところがないと言うのならもっとその実態を公開すべきだと思います。

  

key(きー)さんですkeyさんのブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66

設日:2005/6/23()

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