以心伝心のコミュニケーション (?)  [言葉・文章]

わかるはずという思い込みが理解を阻む

以心伝心の必然

http://www.autumn.org/nihon/isindensin.html 

現実世界では、長年連れ添った夫婦や、何もかも知り尽くした仕事上のパートナーなど、深い関係にある者達では、本当に「以心伝心」と言う現象が起きているケースがある。しかし、日本の誰もが以心伝心をもって意志疎通ができるのかというと、そんなことはない。現実には、ちょっと疎遠な相手との間には、常識の隔たりがあり、そう簡単に以心伝心は成立しない。

一口に日本とか日本人といっても、所属する組織や社会ごとに、慣習の違いが多く存在し、別の村、別の会社、別の部署、別の家に行く、それだけで事実上の異文化接触になってしまうことがある。このような状況から考えて、以心伝心が成立するのは、ごく親しい関係だけで、一般的には成立しないと考えるのが適切だろう。

にも関わらず、以心伝心が日本人の心であるかのように言われるのはなぜか。これは、既にいろいろ述べてきた農本主義の考え方を見れば一目瞭然と言える。

つまり、農本主義において、一般人は生まれた土地から別の土地に移動することはないのが原則なので、問題が起きるはずがないと考えられるわけである。実際に移動することによって以心伝心が通じない場合があるとしても、そもそも、移動したことが悪であるのだから、それが文化の欠陥として問題視される段階にまで進まないと考えられる。

しかし、人、物、カネが激しく移動する現代において、日本国内であっても、以心伝心を前提としていたら、やって行けないことになる。たとえば、何かの契約を行う際に、契約内容を明確にしなかったためにトラブルになる、というような事態は日常茶飯事と言える。まして、現代では人、物、カネが容易に国境を越えるのである。一応、同じ日本語を喋り、同じ日本の義務教育を受け、同じテレビ番組を見ている人間どうしですら以心伝心は成立しないのに、まして海外である。

以心伝心が美徳かどうかと悩むことに、さしたる意味はないと考えるべきだろう。つまり、以心伝心という伝統を無理に残すことは、現代の日本人にとって、何ら益をもたらさない。従って、これを残すという選択肢はあり得ない。

   

議論が進展しない(かみ合わない)のはよくあることです。その原因として指摘されるのは、日本人が論理的に考え議論する訓練を受けていないということです。

我が国には、「以心伝心」とか、「空気を読む」とかという言葉で象徴されるように、言葉で明確に表明することよりも言葉によらない意思疎通に重きを置くところがあります。すなわち、理論よりも行動を重んじるということです。期待される結果さえ出せればそれがどういう理屈でそうなったのかという事は重要でないという事です。

人は誰でも間違うことがあります。過去にいくら実績があるからと言っても、それが将来における実績を保障するものではありません。

民主主義の社会においては、議論して結論を出すことが要求されます。「黙って俺のやり方に従え」は通用しません。対立する意見に対しては、その論理展開の矛盾を指摘し、自説の正当性を証明する必要があります。日本人が不得意とするのがまさにこの、「論理的に説明する」ということです。

橋下大阪市長を巡る報道で週刊朝日が窮地に陥っていますが、週刊朝日の記事はまったくもってその意図を疑われてやむを得ないものでした。弁護士出身の橋下氏に詰め寄られて大人しくその非を認めました。今日発売の週刊朝日に謝罪文が掲載されていました。しかし、橋下氏はその謝罪の仕方にも噛みついています。その言い分を聞くとなるほどと頷けるところがあります。

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