以心伝心のコミュニケーション (?) [言葉・文章]
わかるはずという思い込みが理解を阻む
以心伝心の必然
http://www.autumn.org/nihon/isindensin.html
にも関わらず、以心伝心が日本人の心であるかのように言われるのはなぜか。これは、既にいろいろ述べてきた農本主義の考え方を見れば一目瞭然と言える。
議論が進展しない(かみ合わない)のはよくあることです。その原因として指摘されるのは、日本人が論理的に考え議論する訓練を受けていないということです。
我が国には、「以心伝心」とか、「空気を読む」とかという言葉で象徴されるように、言葉で明確に表明することよりも言葉によらない意思疎通に重きを置くところがあります。すなわち、理論よりも行動を重んじるということです。期待される結果さえ出せればそれがどういう理屈でそうなったのかという事は重要でないという事です。
人は誰でも間違うことがあります。過去にいくら実績があるからと言っても、それが将来における実績を保障するものではありません。
民主主義の社会においては、議論して結論を出すことが要求されます。「黙って俺のやり方に従え」は通用しません。対立する意見に対しては、その論理展開の矛盾を指摘し、自説の正当性を証明する必要があります。日本人が不得意とするのがまさにこの、「論理的に説明する」ということです。
橋下大阪市長を巡る報道で週刊朝日が窮地に陥っていますが、週刊朝日の記事はまったくもってその意図を疑われてやむを得ないものでした。弁護士出身の橋下氏に詰め寄られて大人しくその非を認めました。今日発売の週刊朝日に謝罪文が掲載されていました。しかし、橋下氏はその謝罪の仕方にも噛みついています。その言い分を聞くとなるほどと頷けるところがあります。
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