死刑の是非 6   [死刑廃止論]

死刑制度を維持し続けることは神の御旨に反する

     

    

       

死刑制度とキリスト教

http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rejime-1-20.htm

2.考えるべき点

では、死刑制度の是非を考える場合に、具体的にどのような事情を考慮すればいいのでしょうか。4つほどの論争点をご紹介したいと思います。

(1)被害者感情

①死刑賛成派の意見…身内を殺された遺族が犯人に対して復讐したいと思うのは当然のことであり、神の御旨にも反することがない。殺された人の無念を、一体誰が晴らすのか。

②死刑反対派の意見…犯人を殺しても遺族の苦しみは消えない。犯人を殺すことも殺人であり、神は殺人を望まない。もし被害者の無念を晴らすために死刑があるならば、一人でも人を殺した犯人はすべて死刑にするべきだが、実際にはそうなっていない。一人殺せば死刑という原則に立てば、日本では毎年千数百人を処刑することになるが、それでいいのか。

(2)民意

①死刑賛成派の意見…国民の9割近くが死刑制度を支持している以上、正しいこととして認めるべき。諸外国が死刑廃止に踏み切ったとしても、日本には日本の事情があるのだから気にする必要はない。

②死刑反対派の意見…人間の基本的な尊厳にかかわる事柄を、多数決で決めるべきでない。

(3)犯罪抑止力

①死刑賛成派の意見…死刑があるからこそ人間は凶悪犯罪を思いとどまるのであって、死刑がなくなれば凶悪犯罪が増えるに決まっている。死刑があれば、犯罪の数は少なくなる。

②死刑反対派の意見…これまでに死刑を廃止した国では、死刑を廃止する前と後で犯罪の件数に大きな変化はなかった。アメリカでも、死刑がある州だからといって犯罪が少ないとは限らない。日本では、死刑制度があるにも関わらず凶悪犯罪が跡を絶たない。

(4)冤罪の可能性

①死刑賛成派の意見…誤った裁判で死刑判決を受ける人は、いたとしても極めて少数だから無視していい。懲役刑の場合でも、誤った裁判がその人の人生を狂わせてしまうことは同じ。間違いで死ぬ人がいるからといって有用な制度を廃止するのは、交通事故で死ぬ人がいるからといって車の使用を禁止するようなもの。

②死刑反対派の意見…冤罪で殺される人が一人でもいる可能性があるなら、死刑制度は廃止すべき。殺してしまったら取り返しがつかない。

(5)その他

被害者への援助を置き去りにして死刑囚の人権について論じることへの批判、死刑の代わりに終身刑を導入した場合、国民が凶悪犯の安穏な生活のためにお金を払うことになるがそれでよいのかという疑問など、死刑制度について考えるべきことはたくさんあります。

5.まとめ

裁判制度において懲役刑は、犯人の存在価値を認めた上で、犯人の更生を願って課されるものです。単なる応報刑ではありません。ですが、死刑は犯人の全存在を否定し、犯人を抹殺することで問題を解決しようとします。両者の間には、非常に大きな質の隔たりがあると言えるでしょう。懲役刑には犯人の生命に対する尊敬がありますが、死刑は犯人の生命の存在価値を否定します。懲役刑であれば、犯人は悔い改めて神の御元に立ち返る可能性がありますが、死刑であれば犯人はその可能性を奪われてしまいます。

死刑がなければ社会が守れないということは、今日多くの国々が死刑制度なしで社会を維持している現実を考慮すれば、もはや誰にも言えないでしょう。今日のような状況が続く限り、死刑制度を維持し続けることは神の御旨に反することだと思います。

      

          

これは、カトリック六甲教会が死刑制度についての見解を表明したものです。キリスト教の立場から死刑制度に反対していますが、死刑制度を巡る争点を実にわかりやすく整理しています。死刑制度について学ぶには参考になると思います。

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