間違った引用が混乱の原因   [言葉・文章]

問い合わせても著者からは回答なし

 

ハイブロー武蔵氏は、エッセイを書くことについて木村 治美氏の「エッセイを書きたいあなたに」から引用したものを「いますぐ本を書こう!」に書いていた。しかし、その引用には実に迂闊なミスがあった。

 

何度読み返しても理解できなかったのでQ&Aサイトで質問してみた。そうしたところ、36件の回答があった。その多くが著者の文章の拙さを指摘していた。しかし、いずれの回答でも疑問を解消するには至らなかった。

 

ハイブロー武蔵氏の文章がどうして理解しづらいのか、考えられるのは引用した木村氏の本に問題があるということである。木村氏の文章自体がわかりにくいものであるにもかかわらず、ハイブロー武蔵氏はそれをそのまま引用したということが考えられる。

 

そこで、木村治美氏が実際にどういうふうに書いているのかを図書館で調べてみた。そうしたところ、ハイブロー武蔵氏が木村氏の文章を引用するに当たって間違った記述をしていたことが判明した。木村氏の文章には何の問題もなかった。

 

間違い 「いますぐ本を書こう!」

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 

     

正解 「エッセイを書きたいあなたに」

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

     

読んでいて「おやっ?」と思うのは、そこにそれまでの文章の流れからして不自然なものがある(流れが途切れる)からである。

 

「なぜならば」と続く文章ならば、著者がそう主張することの理由がそこになくてはならない。「しかし」と続く文章ならば、それまでの主張と対立するものがそこになくてはならない。

 

一読して理解できない文章は「悪文」と言っていい。ハイブロー武蔵氏は、引用を間違っただけでなく、「から」という表現を重複して使っている。まさにそれは「悪文」としか言いようがない。「悪文」の見本と言ってもいいぐらいだ。 

  

どうしてこういう「悪文」の本が流通するのか。「いますぐ本を書こう!」の改訂版とも言える「新・いますぐ本を書こう!」がその5年後に出版された。しかし、その「悪文」は訂正されていない。訂正されるどころか、さらにおかしな文章になっている。まったくもって呆れ果てる。 (怒)
   

間違い 「新・いますぐ本を書こう!」
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からというのです。

 

「です・ます体」と「である体」の説明に誤りが…

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8481725.html

 

 

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クレーマー&クレーマー

「いますぐ本を書こう!」は、「である体」であるのに対して、「新・いますぐ本を書こう!」は、「です・ます体」である。

文体を変更したことがさらなるミスを誘発した。

>増幅されないからという理由からだ。(間違いその1) 

>増幅されないからという理由からというのです。(間違いその2) 

文体を変更しただけならばここは、

>増幅されないからという理由からです。 

でいいはずだ。「という」が重複するのは明らかにおかしい。

そもそものミスは、引用した文章のミスに著者が気付かなかった(推敲が不十分だった)ことにあるが、校正の段階でどうしてチェックできなかったのか。いったい、どういう編集をしているのか。

今まで、そのミスを指摘する声はどこにもなかったのか。

by クレーマー&クレーマー (2014-03-22 00:34) 

pkc107

書いた文章を公開する前に第三者の目を通すことは、私も必要だと思います。身近な例を挙げれば、このハフィントンポスト日本版に書かれた一部のブログにも、この文章は筆者の感情の勢いだけで書かれた後、誰のチェックも受けることなく掲載されたのだろうなと思われるものが既にあります。そういう文章はたいてい、論理が途中で破たんしていて、内容を理解するのに苦労することになります。

by pkc107 (2014-03-22 10:08) 

やっぱり「編集者(=エディター)」は必要だ

ささっと時間をかけずに書いて、名文を作れる人もいる。でも、たいがいの場合は、一定の時間をかけて考えて、書いてみて、その後に第三者の目と手を通したもののほうが、より質が高くなる。

これだけたくさんの人がありとあらゆることを発信する中、より質の高いものを出せば、後々まで人の心に強く残る。自分が読み手の場合でも、できればより質の高い、読みがいのあるものを読みたい――時間は限られているのだから。

注意したいのは、第三者の客観的な目と手を入れるのは、あなたが書くものが劣っているから、あるいはあなたが初心者だから必要だ、というのではない。誰にとっても深みを出すためには必須だと私は思っている。

by やっぱり「編集者(=エディター)」は必要だ (2014-03-22 13:02) 

迷惑千万

思わず首をひねってしまう文章は、読み直しを強制しているに等しい。読者としては、ひどく迷惑な話である。
 
「わかりやすい文章を書く技術」 (樋口裕一・著 105ページ) より

by 迷惑千万 (2014-03-23 11:08) 

迷惑千万 2

しかしながら、編集者はいったい何をやっていたのか。こういう馬鹿な編集が出版界にいるから、本の売り上げが低迷するのだ。手抜き仕事、流し仕事。センスが悪すぎる。頭が悪すぎる。矜持もへったくれもない。

出版とは個人の趣味であると考えていたが、こんな浅薄なものを読ませれたのでは、民衆を馬鹿にしているというレベルを超えて、出版への情熱が全く喪失していることを嘆かざるを得ない。それとも、ここにみるべき料理があるとでもいうのだろうか。

いい加減な本づくりはやめて頂きたい。

by 迷惑千万 2 (2014-03-24 22:40) 

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