テストの出題文にみる国語教育の問題点   [言葉・文章]

正解はないのに無理に正解を求めるいい加減さ
 
 ある国語のテストにこういう(↓)出題があった。
 
次の(・・・・・・)にはどういう言葉(接続語)がふさわしいですか。4つの選択肢から選びなさい。
                          選択肢 ⇒ 「すると」「でも」「つまり」「ところで」 
今日はいい天気だよね。気温もちょうどいいし湿度も低めで。(・・・・・・)、ちょうどいいと言っても人それぞれだけど、やっぱりだいたいの人は爽やかに感じるよね
 
福嶋隆史氏は、
   
>普通は、「たしかに」「もちろん」「もっとも」「まあ実際は」といった譲歩表現になるはず。(4つの選択肢から)あえて選ぶなら「でも」しかない。
    
という。つまり、「与えられた選択肢はどれもふさわしくない。出題者の文章力を疑う」という。
  http://ameblo.jp/yokohama-kokugo/entry-11731085063.html より
    
出典となった文章が論理的でない場合、その言っていることに説得力はない。そういう文章を国語のテストの出典とすることは、出題者の文章力に問題があるということに他ならない。まさに国語教育の問題点の一つがそこにある。
 
 

2011/09/27の連続ツイート再録
――日能研カリテ(4年)の悪問について

http://ameblo.jp/yokohama-kokugo/entry-11731085063.html

 
 
     
 
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クレーマー&クレーマー

「次の文章は論理的に無理な記述がある。それはどこか?」

非論理的な文章でもこういう使い方ができる。
ダメな文章をもっと白日の下に晒し、その筆者の文章力の真価を問うべきだ。
そうすれば、訳のわからない本がちまたに溢れることを抑制できるのではないか。

by クレーマー&クレーマー (2014-02-24 12:47) 

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