講座受講の申し込みに対して、「講座受講拒否!!」の回答 [日記]
「当社の判断についての質問等への対応も致しません」
ある程度は予想していた。無理もないことかと思う。しかし、そのことを明確に提示されるとやはり心穏やかではおれない。
去年の夏、現役の作家を囲んでお茶を飲みながらその創作秘話を聞くという会合があった。今回の講座を主催する会社がその時もその会合を主催した。
私は、現役の作家の話が直接聞ける(参加費1,000円)というので参加を申し込んだ。それまで私はその作家については何も知らなかった。そこでその会合に参加する前にその著者の本を買って読んだ。そしてその会合で著者に質問をした。
著者の本を読んで疑問に思うところがあったのでそのことを質問した。しかし、著者は私の質問をさらりと受け流した。時間の関係もあったので私はそれ以上は質問しなかった。その代わりに、著者に同行していた編集者に質問した。編集者は「会社に戻ってから検討します」と返答した。
しかしその後、数日経っても編集者から何の回答もなかった。そこで私は、編集者に対して回答を催促した。しかし、それでも回答はなかった。そこで私はその出版社の社長宛に手紙を書いた。そのことが功を奏したのかどうかわからないが、その直後に編集者から回答があった。
著者にしても私は問題点を指摘した。しかし、著者からは何の釈明もなかった。著者は、ブログで創作活動や日常のできごとについて書いていた。その著者のブログにも表記の誤りがあった。私はそれも指摘した。しかし、それについても著者は私の指摘を無視した。
多くの人の目に触れる著者のブログは、単なる無名の個人のブログと意味合いは異なる。著者の作家としての活動は、言葉を武器として成り立つ。だからこそ、言葉遣いには慎重であるべきだ。間違った表記を訂正しない著者のその感覚が私は理解できない。
私は、間違った表記が間違っているとして認識されずに、正しいものとして受け入れられるようになることを危惧している。言葉は絶えず変化するものではあるが、言葉の乱れは極力避けなければならないと考える。
今回、受講を申し込んだのは「書き方」の講座だった。無料だということで申し込んだ。ある程度は予想していたが、それは予想していた通り見事に拒絶された。しかし、拒絶されたとしても何ら支障はない。学びの場は至るところにある。一番身近なのは本を読むことだ。本を読んで得られるものは大きい。 しかも、文章術の本は読み切れないほどに出版されている。これを利用しない手はない。
残念なことに、私は人生の後半期に至って読書に目覚めた。人生の前半期、それも青年期において読書に没頭するということがなかったことがこの上なく心残りでならない。もし、幼いころから本を読む楽しさに目覚めていたら、今とは違う人生が開けたかと思う。しかし、遅ればせながらも私は読書の楽しみを知った。読書の楽しみを知らずに人生を終わる人もいることを思えば幸せだと思いたい。
問い合わせに対して回答しない会社の姿勢についてhttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/8478924.html
昨年夏の貴殿の行為の件で、当社も少なからずの影響を受けました。
当社も営利企業でございますので、大変申し訳ございませんが、貴殿との関与はお断りさせていただきたいと存じます。今回の講座のお申込みもお断り申し上げます。
また、当社の判断についての質問等への対応も致しません。何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
当社も営利企業でございますので、大変申し訳ございませんが、貴殿との関与はお断りさせていただきたいと存じます。今回の講座のお申込みもお断り申し上げます。
また、当社の判断についての質問等への対応も致しません。何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
ある程度は予想していた。無理もないことかと思う。しかし、そのことを明確に提示されるとやはり心穏やかではおれない。
去年の夏、現役の作家を囲んでお茶を飲みながらその創作秘話を聞くという会合があった。今回の講座を主催する会社がその時もその会合を主催した。
私は、現役の作家の話が直接聞ける(参加費1,000円)というので参加を申し込んだ。それまで私はその作家については何も知らなかった。そこでその会合に参加する前にその著者の本を買って読んだ。そしてその会合で著者に質問をした。
著者の本を読んで疑問に思うところがあったのでそのことを質問した。しかし、著者は私の質問をさらりと受け流した。時間の関係もあったので私はそれ以上は質問しなかった。その代わりに、著者に同行していた編集者に質問した。編集者は「会社に戻ってから検討します」と返答した。
しかしその後、数日経っても編集者から何の回答もなかった。そこで私は、編集者に対して回答を催促した。しかし、それでも回答はなかった。そこで私はその出版社の社長宛に手紙を書いた。そのことが功を奏したのかどうかわからないが、その直後に編集者から回答があった。
著者にしても私は問題点を指摘した。しかし、著者からは何の釈明もなかった。著者は、ブログで創作活動や日常のできごとについて書いていた。その著者のブログにも表記の誤りがあった。私はそれも指摘した。しかし、それについても著者は私の指摘を無視した。
多くの人の目に触れる著者のブログは、単なる無名の個人のブログと意味合いは異なる。著者の作家としての活動は、言葉を武器として成り立つ。だからこそ、言葉遣いには慎重であるべきだ。間違った表記を訂正しない著者のその感覚が私は理解できない。
私は、間違った表記が間違っているとして認識されずに、正しいものとして受け入れられるようになることを危惧している。言葉は絶えず変化するものではあるが、言葉の乱れは極力避けなければならないと考える。
今回、受講を申し込んだのは「書き方」の講座だった。無料だということで申し込んだ。ある程度は予想していたが、それは予想していた通り見事に拒絶された。しかし、拒絶されたとしても何ら支障はない。学びの場は至るところにある。一番身近なのは本を読むことだ。本を読んで得られるものは大きい。 しかも、文章術の本は読み切れないほどに出版されている。これを利用しない手はない。
残念なことに、私は人生の後半期に至って読書に目覚めた。人生の前半期、それも青年期において読書に没頭するということがなかったことがこの上なく心残りでならない。もし、幼いころから本を読む楽しさに目覚めていたら、今とは違う人生が開けたかと思う。しかし、遅ればせながらも私は読書の楽しみを知った。読書の楽しみを知らずに人生を終わる人もいることを思えば幸せだと思いたい。
問い合わせに対して回答しない会社の姿勢についてhttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/8478924.html
2014-02-19 11:22
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