命の尊さは被害者も加害者も同じ(?)   [死刑廃止論]

かけがえのない命を奪った代償として死刑は必要

 

http://news.copy2ch.info/?p=5519 より

 

千葉大生殺害事件の被害者のお母さんは8日、一審の死刑判決が否定されたことを受けて「司法への期待を裏切られた。1人殺害だから死刑を回避するとはよく言えたものだ」というコメントを発表しました。

 

死刑制度に反対している西水美恵子氏の「人の痛み、我が身重ねよ」という主張に従えば、遺族が悲しみに沈みや怒りを抱くのは当然です。そのことは被害者側に立って考えれば十分に理解できることです。そのことが理解できないのは、人の気持ちを思いやるということ(能力)に欠けているとしか言わざるを得ません。

 

映画「刑務所の中」で、「人1人殺して7年なんてやすいもんだ、アハハ」 というシーンがあります。小説「真夜中の看守長 ルナーミッション」の中では、「『覚せい剤使用』とは、うまい作戦を考えたなあ。普通なら死刑になっていたところだ。それがたったの6年。さすが、使える弁護士だなあ。今度、皆さんもパクられたら紹介しますよ。アハハハ」というシーンがあります(194ページ)。これらのシーンは、如何に刑務所が犯罪者たちにとって居心地のいいものになっているかということを物語っています。

 

死刑を免れた者が刑務所の中で如何に反省のない受刑生活を送っているか、その事態を知れば知るほどに怒りが募ります。犯罪被害者の遺族でも死刑に反対している人はいますが、遺族になって初めて加害者に対して言いようのない怒りを抱く人もいるはずです。

 

かつて加害者を弁護する立場であった岡村 勲弁護士は、恨みを抱いた加害者から奥さんを殺害されました。犯罪の被害者の立場になって初めて司法が如何に被害者の存在を蔑にして来たかを実感したといいます。法廷で証言する機会を得た岡村氏は「(犯人を)極刑にしていただきたい」と訴えました。

 

しかし、事件が起きてから怒りを抱いても遅いのです。そういう事件が起きないようにするためにどうすべきかということを考えることが大事です。死刑制度について考えるということがまさにその一つです。決して無関心でいいはずはありません。

 

刑務官の厳しい現実

http://heinonaka2012.seesaa.net/article/370500975.html

 

死刑回避のための常套手段

http://mayonaka-kansyutyou.blog.so-net.ne.jp/2013-07-06

 

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