わかりにくい表現の背景 [言葉・文章]
http://www.zkai.co.jp/ca/g/sp1/35.shtml より
これは、ある通信教育の会社のホームページに掲載された編集者の佐渡島庸平氏のインタビュー記事の一部です。
「本を読むのが好き」というスキルは一番大切だと思います。
これは、「編集者は本を読むのが好きでなければならない」と言っているのだと思います。しかし、その次のフレーズの 「何でも好き」だと駄目なんです がよくわかりません。そこでどうして「何でも好き」という発想になってそのことを「駄目なんです」というのか、どうもよくわかりません。
これはもしかしたら、「どんな本でも好きというのは駄目」ということなのかとも思えなくもありません。そうだとすれば、その話の展開は何ら無理はありません。しかし、一番わからないのがその次のフレーズです。
自分の中で「自分が好き」と「読者が好き」の境界をしっかり持てることが大切ですね。
この「自分が好き」と「読者が好き」の境界が私はどういうことなのか、さっぱりわかりません。しかも、それ(境界)を「自分の中で」「しっかり持てる」ということも実に不可解です。佐渡島氏はそのことについて何も言及することなく、次にその他のことについて語っています。
果たしてその言い方だけで「なるほど」と頷く人が何人いるのかと、私は思います。「オレはわかるよ。わからないのはお前だけだ」と言う人もいるかもしれませんが、わからないのは決して私だけではないはずです。少なくとも私と同様に「どういうこと?」と首を傾げる人はいるはずです。
どういうことかを具体的に説明した上で、 自分の中で「自分が・・・ と言うのなら理解することはできても、具体的な説明抜きでいきなり抽象的なことを言われても理解するのは無理というものです。「AだからB、BだからC」という説明ならすんなり理解できるのに、いきなり「AだからC」では理解できなくても不思議ではありません。
理解できなくて無理もない事を恥じる必要はありません。むしろ恥じるべきは、わかってもいないのにわかったつもりでいることです。
私は、わからないことは「わからない」とはっきり言いたいと思います。それと同時に、自分の発言の間違い気付いた時には、素直にそれを認めて謝罪・訂正したいと思います。
第3回 編集者に求められること
http://www.zkai.co.jp/ca/g/sp1/35.shtml
シリーズ「残念なひとびと」・わかってないのに、わかったつもりになっている人々
http://hashira.exblog.jp/14007826/
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)
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