死刑の是非 12   [死刑廃止論]

実りある議論の進め方

  

死刑存廃論の出発点

http://lucius.exblog.jp/6221136/ 

廃止論に立つ側としては、死刑殺人であることに議論の余地はないので、殺人が悪いことであれば死刑は悪いことです。

もちろん、「そうですね」と言ってしまうと議論は1秒で終わってしまうので、存置論に立つ側は、殺人は悪いけど死刑は悪くないと言わなければいけません。そのために、「人を殺すのは悪いことだ」という単純な前提をもう少し検討して、うまく結論を導けるような形に変える必要があります。

ここで大事なのは、新しく作る前提も双方が一致できるものでなければならないという点です。これを忘れると、お互いに「バーカ、バーカ」と言い合うような、しょうもない議論に成り果てるでしょう。

結局のところ議論というものは、理想としては前提の一致(=結論の一致)を目指すため、それが無理だとしても、どこで前提が違っている(から結論が違う)のかを認識するために行うもので、相手の意見にケチをつけるのはそのための手段に過ぎないので、目的を見失わないように気をつけることが肝要です。

      

議論する上に大事なことは、議論することについて共通の認識があることです。前提が同じであることです。

 

ある問題を議論する際に、ある人はAのことについての議論だと思っているのに、別の人はBのことだと思っていては、議論になりません。議論がかみ合わないのは当然です。

 

私たちは、得てして相手も同じ認識と思いこんで議論している場合があります。まさに思い込みによる議論の擦れ違いがそこに生まれます。心しなければならないことです。

 

死刑廃止論者が死刑も殺人と変わらないという主張は、わからなくもありません。そこで死刑存置論者としては、死刑はただの殺人と違うというところを主張して初めて議論は成立します。

   

両者で共通するのは、殺人は悪いことだという事です。しかし、殺人の定義を巡って認識が食い違うために議論がかみ合わないわけです。

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