「そばの会」の主張 10 [死刑廃止論]
「被害者感情」と死刑
以下、http://homepage2.nifty.com/sobanokai/soba0407.html (2004年7月) より
「被害者感情を考えれば死刑存置もやむをえない」という意見をよく聞きます。また、私たちに「被害者の人権をどう考えているのか」と詰問してくる人も、ときどきいます。
先週の日曜日に葛飾で、1983年に愛知県で起きた「半田保険金殺人事件」の被害者の兄、原田正治さんの話を聴く集まりがありました。原田さんは、加害者である長谷川死刑囚(2001年12月に死刑執行)との面会と死刑執行停止を求めてきました。
トラックの運転手だった原田さんの弟は、勤務先の社長だった長谷川死刑囚ら3人によって、保険金目当てに交通事故を装って殺されました。最初は交通事故として処理されましたが、1年3か月後に長谷川死刑囚たちの犯行が発覚しました。彼らはそれ以前にも同じ手口で二人の人を殺していました。長谷川死刑囚は逮捕されるまで親切ごかしに母親の家を訪れ、弟が借金をしていたとウソをついて母親から金を引き出していました。
原田さんは長谷川死刑囚を憎み、毎回欠かさずに裁判を傍聴しました。一審の証言台で「極刑を望みます」と言ったものの、長谷川死刑囚にじかに怒りをぶつける術がないことに絶望感を抱いたといいます。交通事故として支払われた1400万円ほどの保険金も保険会社から返還を求められ、それに引き換え犯罪被害者給付金は200万円ほどで、一家は経済的にも困窮しました。裁判の度に仕事を休むので会社からもうとまれ、原田さん自身の生活も荒れていったそうです。
長谷川死刑囚は原田さんのもとに手紙を何通も書いてきました。長い間読まずに捨てていましたが、二審の半ばの頃ふとしたきっかけで手紙を開封し目を通すようになり、初めて面会に行ったのは事件から10年目の夏でした。その秋には長谷川死刑囚の死刑判決が確定し、4回面会しただけで以降は面会できなくなりました。
原田さんは今でも長谷川死刑囚を「許せない」「許せる問題ではない」と言います。それでも、面会に行って直接謝罪の言葉を聞くと、ある程度気持ちが落ち着いたそうです。それまで「あいつは威張りくさって何もしないでただ拘置所にいる」と思っていたのが、「ああ、あいつは謝っている」と思うと安堵感のようなもの感じたと言います。
長谷川死刑囚が処刑されても彼への怒りや憎しみは癒されなかった、被害者遺族の生活は何一つ変わらなかったと原田さんは言います。このような体験から原田さんは、「被害者感情」を死刑執行に利用することに反対し、加害者と被害者の面会の場を設けること、被害者側の救済・支援の重要性を訴えています。
長谷川死刑囚の息子さんは父親の死刑が確定して一年も経たずに二十歳で自殺しました。長谷川死刑囚のお姉さんも自殺しています。彼らの死を肉親の犯罪の当然の報いと見ることはできません。私たちには彼らのためにもやり残していることがあるはずです。
犯罪被害者の救済・支援に反対する人はいないし、口で言うことは簡単です。しかし、そのために私たちは何をすべきでしょうか? また、被害者遺族の気持ちを外から代弁することも簡単です。しかし、加害者を殺すことで本当に被害者や遺族の気持ちは癒されるのでしょうか? 愛する人を殺された者が「生きて返せ」とその犯人を一生憎み続ける気持ちは理解できます。しかし、その気持ちを「すべての殺人者は死刑にすべきだ」という主張と結びつけるのは、飛躍してはいないでしょうか?
むずかしい問題ですが、一緒に考えてみませんか?
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反対論者が「人の命は差別なく尊いというなら。だからこそその命をもって償え!と思います。
反対論者が、自分が被害者遺族の立場にたったときに、加害者に対し死刑を望まないのは自由です。そういう人こそぜひそういう立場になって欲しいですね。
by heartail (2014-06-08 12:17)