あらためて思う読書の大切さ [教育]
読書は無限の可能性の原動力
日本マイクロソフト社の取締役社長であった成毛 眞氏は「本を読まない人はサルである!」と言っています。その通りだとすると、私たちの周囲にはかなりの「サル」がいることになります。
読書の大切さを声を大きくして訴える人がいる一方で、「どうして本を読む必要があるのか」と言う人がいるということは悲しい限りです。そういうことを言うのは、本を読んでいないからとも言えます。本を読む喜びを知ればそういうことは言えないはずです。
本を好きになるかならないかは、親の姿勢が大きく作用します。本を読まない親が子供に「本を読め」と言っても説得力はありません。子供が本好きになるかならないかは環境に大きく左右されます。まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」です。
読書の重要性 「子どもが本を読まない 国に未来はない」
http://www.iinan-net.jp/~tosyokan/dokusyo-igi.htm
読書のすすめ ― 本から学ぶことの効用と古典の重要性
http://blog.livedoor.jp/deguchiharuaki/archives/27691838.html
読書の必要性。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1064992425
読書と豊かな人間性
http://home.att.ne.jp/kiwi/flicker/re/dokusho_2.html
http://ribosomaltranslator.cocolog-nifty.com/blog/cat56178537/index.html
しかし、一見すらすらと、長い文を難なく書いているようではあるが、語彙の選択に関して今ひとつ洗練されたものがなかったり、表現が口語的で短い文を連ねたものだったりで、内容的にも論理性をもって「読ませる」だけの説得力がないというケースも、時折ではありますが、帰国子女の中にみられるのです。一方、一度も海外に出た事がなく、ずっと日本の中で英語教育を受けてきた学生の中にも、正確なわかりやすい英語で、内容も非常に独創的で説得力のある英文を書くことのできる者たちが存在します。
確かに、長く海外に滞在していた帰国子女のように慣れ親しんだ流暢な英語というわけにはいきません。しかし、中身のある「読ませる」英文であることは確かです。日本の語学教育を受けた学生のすぐれた英語の文章と、帰国子女の優れた英語の文章を並べたとき、必ずしも、後者のほうが絶対によいとは言いきれない場合もあるのです。
記事の転載についてメールで了解をお願いしました。
そのことについて何の返信もありません。
何ら問題はないということかと思います。
>記事を転載させて貰いました。
>不都合なところがありましたらご指摘ください。
>2013年11月15日 〇〇〇〇
by クレーマー&クレーマー (2013-12-01 00:34)
>一種「憧れ」のまなざしで見られていたものも、最近はその数も増え、親の仕事の関係で英語圏での暮らしを経験している学生は、それほど珍しい存在ではなくなりました。
この記事を掲載した時には気付かなかったのですが、またしても???と思うところがありました。
「見られていたものも」は「見られていたものの」が正しいのではないでしょうかね。自信はないのですが……。
by クレーマー&クレーマー (2013-12-01 13:13)