「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。」 3 [出版]
8日にネットで注文しました。10日、それが届きました。さっそく読んでみたのですが、すんなり読み進むことができません。著者は、死刑制度に疑義を表明しています。しかし、確固とした死刑反対論者ではないためか、記述がまどろっこしくてなりません。
著者がどういう知的レベルの人を対象にしてこれを書いたのかわからないのですが、私のレベルではところどころに理解できない言葉があって、322ページのその分厚いボリュームのうちのまだ四分の一しか読み終わっていません。死刑とは何かを説明するに当たって、「ベンヤミンが主張するように」とか「ア・プリオリに内在する個人への暴力の発動」という言い方をしています。もっと平易な言葉で説明できないものかと思います。
死刑の歴史や具体的な執行方法にかなりのページ数が費やされています。何を書いて何を書かないかは著者の本質にかかわることでしょうが、何を言いたくてこんなことを書いているのかと思ってしまいます。そういうところは読み飛ばせはいいのですが、私は気になって読み飛ばすことができずについ読んでしまいます。そのために一冊の本を読み終わるのにかなりの時間がかかってしまいます。
気になって他の人がどういう評価をしているかを調べたところ、「著者の自己陶酔に苛立つだけだ。とにかく冗長!」だとか、「まともな書き手なら、この半分の頁で、同じことを書く」という批判的な書評がありました。無理もないなと思います。
今日も読んでいて「おやっ?」と思う記述に出会いました。それは「こうして死刑は不可視となる。見せる側は隠すし、見る側は視線を逸らす」という箇所(84ページ)です。「見せる側」「見る側」が誰のことを言っているのか、私はどうにも理解できません。どうしてこんなまどろっこしい表現をする必要があるのかと思います。
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う http://psichiatra.blogspot.jp/2012/03/blog-post_8418.html?showComment=1347371081755 |
|
文脈から「見せる側」とは国のことかと思います。従って「見る側」とは国民になるかと思います。しかしその場合でも、国民が「目を逸らす」というのがよくわかりません。
なぜそういう表現をするのかと思います。難しい言い回しをすることが作家として優れているとでも言いたいのかと思います。
by クレーマー&クレーマー (2012-09-11 19:50)